戸塚文卿師を導いた摂理的出来事による、本会とフランシスコ会の東京進出 戸塚青年と神との出会いで最も大きな影響を与えたのは、先輩で代父の岩下壮一師でした。暁星、一高、東大と、二人は カトリック教会の前途有望な青年として同じ…
FMM日本管区の歩み‐38
東京大司教区から国際病院設立の呼びかけを受けて 会長のMサン・ミッシェルのもとに届いた呼びかけのなかに、東京大司教区のシャンボン大司教と青年医師の戸塚文卿師のそれぞれから寄せられた国際病院設立の要請がありました。本会にと…
FMM日本管区の歩み-37
日本の共同体は、本会の来日25周年記念の年を迎えると、熊本と札幌を中心に宣教の活動範囲が一層広がっていきましたが、本会全体としても1926年に開かれた総評議会のもとに新しい時代を迎えて新しい歩みを始めていました。 アジア…
FMM日本管区の歩み-36
本会の来日25周年記念を迎えて 第一次世界大戦が世界宣教を使命とする本会に与えた打撃の大きさは計り知れないものがありました。終戦後、サン・ミシェル会長はこの大戦で破壊された修道院や関連施設の建物の修復と会員の病気回…
FMM日本管区の歩み-35
札幌天使病院には、創設以来、親の入院や病死のために行き場のない子どもたちや、貧しい開拓民の子どもたちを引き取って世話をする場所がつくられていました。それが1923年に起きた関東大震災後に引き取った被災者の子どもたちの増加…
FMM日本管区の歩み-34
北広島修道院のはじめ - 札幌修道院の分院として 1928年 (昭和3年) 8月16日、病院の落成式2週間前に、札幌修道院から派遣されてきた2名のシスタ-は、数名のオブラ-ト志願者と一緒に、病院内で共同体の生活を始めま…
FMM日本管区の歩み-33
開拓村・北広島への浸透 ~ 札幌の新しい宣教分野 ~ 1927年 (昭和2年)、札幌修道院の地域社会への目覚しい浸透は、豪雪と原生林に埋もれた北広島の開拓村へ広がっていきました。ここに、早々と主のぶどう畑がつくられてい…
FMM日本管区の歩み-32
天使院印刷所の開設と出版活動 図らずも、日本にはまだカトリックの印刷所がない時代に、生前創立者が切に望んでいた宣教地における出版活動が、北国の札幌で…
FMM日本管区の歩み-31
1925年 (大正14年) 11月7日にオブラ-トの修練院が札幌に開設されて以来オブラ-トの修練者たちは、フランシスコ会キノルド司教の大きな支持を受けながら宣教者としての堅固な養成を受け、オブラ-トの誓願を立てていました…
オブラ-ト修練院の開設
1925年 (大正14年) 12月8日、無原罪の聖母の祝日に、オラトワ-ルに集まった4名の志願者は、キノルド司教より志願者用のベ-ルを受け、修練長のMアポリナリアのもとで 修練院の生活を始めました。4名とも入会前に看護婦…