第二次世界大戦下における教会と本会の対応-①
日本カトリック教会は「宗教団体法」によって一応解散させられましたが、1941年(昭和16年)5月には新たに「日本天主公教教団」として政府の公認を受け、存続が保障されました。当時のカトリック信徒数は政府が教団認可の基準としてかかげた「信徒数5,000人以上」という数字を遥かに越えて119,224名、それ以外に外国人司祭308名、日本人司祭159名、男子修道者290名、女子修道者1,685名が宣教司牧活動に従事していました。これまで法的には「神道以外の宗教」にすぎなかったキリスト教が、皮肉にもこの新法によって史上初めて独立した宗教として公けに認められ、計らずも日本のカトリック教会は「日本天主公教教団」の統率者・土井辰雄東京大司教の指導のもとに、一丸となって戦争の混乱期を迎えることができたのです。
日本カトリック教会の対応
1941年(昭和16年)7月1日、土井大司教は公認された日本カトリック教会の法人「日本天主公教教団」について、「カトリック教の一般規則書」と題する回状を各修道会の長上へ送付しました。それにはこの教団が「カトリック教会」であることを次のような表現で明らかしています。
- 私たちの宗教団体は「日本天主公教教団」と呼ぶ。
- これは一つの法人である。
- 教団事務所:東京関口台町
- 教団の歩み:天文9年、カトリックの教えは聖フランシスコ・ザビエルによって初めて日本に伝えられた。弘化3年1846年に大きな変革があり、日本代牧区が設置された。昭和2年、早坂久之助が長崎の初代日本人司教となった。昭和12年、山口愛次郎がその後継者になった。昭和15年、土井辰雄が東京大司教に任命され、同時に全司教区に日本人教区長が任命された。こうして私たちの宗教の基礎が築かれた。
- 私たちの宗教の教義は救い主イエス・キリストを世に知らせることである。キリストの代理者である聖ペトロとその後継者のロ-マ教皇は教会の長として 一、聖、公、使徒の教会の教えを私たちに伝え、信ずべきこと、守るべきこと、宗教儀式を教える。
- 信仰の真髄:天地の創造主である神の存在、三位一体の神、三位の第二のペルソナであるイエス・キリストが救い主としてこの世に来られたこと。
- 私たちの宗教の規則は神の掟。
- 私たちの宗教儀式は祈り、ミサ、秘蹟。
- 私たちは、旧約聖書、新約聖書、伝承によって教えを広める。
政府はキリスト教を潰すために「宗教団体法」という新しい法制度を設けましたが、それが却ってキリスト教を神道や仏教と並ぶ宗教と認めたことになり、さらには「日本天主公教教団」を設立したカトリック教の規則書が「カトリック教会」のアイデンティティを明確に世に示すことになったのです。