マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

FMM日本管区の歩み-56

聖心聖マルグリット会「恵老院」の正式譲渡

1932年10月25日、聖母病院の運営が軌道に乗った頃、聖心聖マルグリット会「恵老院」が正式に本会へ譲渡されました。以後本会は、東京市と麻布教会の婦人部の支援のもとにこの事業を継続していくことになりました。

地域の教会と社会の要望に応えて、東京で最も貧窮者の多い荒川区三河島のスラム街で巡回診療を始めたのも、また貧しい結核患者のために15床の病棟が聖母病院に増設されたのもこの頃のことです。この病棟は、かつて慈善演芸会やバザ-を開いて、病院建設資金集めに協力してきた麻布教会の福祉部「あけぼの会」の依頼で建てられました。病人の家を訪問していた婦人たちが、入院加療が必要でも貧しくて入院出来ない結核患者の悲惨さを見て、シャンボン大司教の支持のもとに救済計画を立て、その実現に向かって働きかけてきたのです。

実際に、本会はこの要請を受諾したものの、病院には経済的にも時間的にも労力的にも、全くその余裕がない状態でした。それで婦人会は、再々慈善演芸会やバザ-を開いて建設資金集めに奔走しました。更に幸か不幸か、摂理的か、そんな時に病院3階の修道院から起きた火事が思いがけなくも不可能を可能にしたのです。というのは、初期消火に成功して 3階の患者は無事に隣の老人ホ-ムへ移されましたが、何もかも失って着の身着のままの「タブリエ(作業衣)」でミサにあずかっている修道女の惨めな姿が翌朝の新聞に報道され、多方面から寄付金が寄せられてきたからです。それで、殊のほか早く貧窮者のための木造結核病棟が完成し、1934年 (昭和9年) 4月に、このプロジェクトを支援してきたシャンボン大司教によって落成祝別式が行われました。7月の「中国の7人の殉教者の記念日」には、木造の仮修道院と仮聖堂も落成し、奇しくも管区館としての足場が整えられていったのです。