「オブラ-ト」修練院の閉鎖と正式入会-① 会長は、日本人のメンタリティに合わなくなった「オブラ-ト」の修練院を閉鎖し、オブラ-トが正規の会員として入会できるように申請書を同聖省に提出しました。それには次の理由が書かれてい…
FMM日本管区の歩み-61
修練院の東京移転 「日本の殉教者の聖母管区」の新設と時代の動きに従い、熊本と札幌の修練院を統合する必要が生じてきたために、熊本の修練院は東京へ移転し、札幌のオブラ-ト修練院は閉鎖されることになりました。会長のM.マルグリ…
FMM日本管区の歩み-60
熊本に開設された日本最初の修練院-② 1911年(明治44年)のス-ル修練院開設以来、16歳から27歳までのプロバニストが少なくとも20名はいましたが、この指針が出されてからアグレジェとして残る者が増える一方、入会者は …
FMM日本管区の歩み-59
熊本に開設された日本最初の修練院-① 本会の来日から最初の修練院開設まで、日本のFMMは長い道のりを歩んできました。 1900年(明治33年)コ-ル師、有安師、深堀師の紹介で長崎の旧信者の家庭から10代の少女と…
FMM日本管区の歩み-58
管区評議会と院内評議会の設置-② 1934年~1938年の間に16回の管区評議会が開かれていますが、当時の日本とフィリピン間の交通事情を考えると、両国で毎月2回開かれる評議会に参加するのは容易ではありませんでした。当時、…
FMM日本管区の歩み-57
管区評議会と院内評議会の設置-① M.ピエ-ルは聖母病院の問題に対処しながら、東京修道院が管区館として機能できるように整えてきました。 1934年(昭和9年)7月21日、日本管区最初の管区評議会が東京で開かれました。この…
FMM日本管区の歩み-56
聖心聖マルグリット会「恵老院」の正式譲渡 1932年10月25日、聖母病院の運営が軌道に乗った頃、聖心聖マルグリット会「恵老院」が正式に本会へ譲渡されました。以後本会は、東京市と麻布教会の婦人部の支援のもとにこの事業を継…
FMM日本管区の歩み-55
管区館の足場づくり ー 国際聖母病院の危機と再建 意外にも、M.ピエ-ルを待ち受けていたのは開設されたばかりの聖母国際病院の問題でした。管区長の到着を知った初代病院長の戸塚文卿師から「辞表を提出することに決めました」と…
FMM日本管区の歩み-54
第5代管区長 マリ・ピエ-ル・ド・ジェズ (1932-1940) 「日本の殉教者の聖母」管区 1932年の総会で新設された「日本の殉教者の聖母」管区は日本とフィリピンから成り、新管区長マリ・ピエ-ル・ド・ジェズ (M.…
FMM日本管区の歩み-53
1932年の総会 1931年(昭和6年)8月4日に帰天した第4代会長 M.サン・ミッシェルは、第一次世界大戦で痛めつけられた会員の健康回復のために、ヨ-ロッパ各地にサナトリウムを開き、本会を戦争の荒廃から建て直しました。…