管区評議会と院内評議会の設置-①
M.ピエ-ルは聖母病院の問題に対処しながら、東京修道院が管区館として機能できるように整えてきました。
1934年(昭和9年)7月21日、日本管区最初の管区評議会が東京で開かれました。この日、M.ピエ-ルはロ-マのM.サンタニェスから「会長のM.マルグリットはマリ・ド・ラ・パシオンの思い出が今も尚生き生きと残っているサン・レモの小聖堂で、日本の殉教者の聖母管区の会員のために祈っています」という手紙を受け取りました。最初の管区評議員は日本の副管区長M.アポリナリア、聖心聖マルグリット老人ホ-ムの施設長M.ベアタ、聖母病院院長 メリ・オブ・ジザス、そして管区長秘書のM.アデマ-ルの4名でした。管区長は祈りの後、会憲とクチュミエを読み、それから管区評議会と院内評議会に関する本部評議会の決定事項を伝え、会長とその評議会によって任命された日本とフィリピンの評議員を確認するとともに、管区と修道院のいずれの評議会も2週間毎に開くようにとの指示を与えました。更に東京と熊本の副院長の任命もこの席で伝えられました。毎回管区長は各修道院の状況を説明していますが、当時日本には熊本、人吉、札幌、北広島、東京の5修道院しかありませんでした。言うまでもなく 管区の組織づくりの最も重要な土台である管区評議会の設置により、管区に関する問題は全て管区評議会で協議・決定されるようになりました。2日間に亘って開かれたこの評議会で協議された問題は以下の通りです。
人吉 - 県の援助で新しい台所の建設中。2階をアグレジェのために使用する。
熊本 - ロ-マより大聖堂の新築許可あり。子どもの施設を修理する。
札幌 - 病院は以前より大きな収益を上げ、経済的に良好。印刷所は狭く収益もなく、目下移転準備中。伝染病棟の建築許可あり。警察から要求されている修理工事についてロ-マの返事がないが、非常に急を要するので管区長が許可する。一年前から北広島に子どもの施設を始めた。
東京 - 現代の要求に沿った設備を整えているプロテスタント、仏教、各種の慈善団体の事業が毎日のように新設されていく。これは世界中に見られる動きである。これに沿っていかなければ 全く時代遅れになっていく。
- 会長書簡に書かれていたように常に前進し若い人を育て事業を発展させなければならない。
- 現代の人々は独立心が強く、将来私たちを追放するかも知れないができるだけ協力する。この追放ができるだけ遅く起こるように、また神の光栄のために事業を開き、人々の救いのために発展していくように協力しよう。
- 聖母病院新病棟の建築については本部評議会の認可が得られなかった。
- 神戸の病院設立は許可されなかったが、横浜の外人病院の方は原則として許可がおりた。
- コミッション(アトリエの作品を売りに出かける務め)のため、M.デニスとM.アルレットが軽井沢へ泊りがけで売りに行くことに決定。
これらの記録から日本の教会と社会のニ-ドに応えようとする管区の姿勢がうかがえます。