熊本に開設された日本最初の修練院-②
1911年(明治44年)のス-ル修練院開設以来、16歳から27歳までのプロバニストが少なくとも20名はいましたが、この指針が出されてからアグレジェとして残る者が増える一方、入会者は 極く僅かになりました。さらに、1914年(大正3年)に勃発した第一次世界大戦でロ-マとの通信が絶たれたため、最初のノビスの有期誓願宣立後、修練者が途切れてしまいましたが、1920年(大正9年)になって2名のポスチュラントを迎え、ようやく修練院に小さな復活の火が灯されたのでした。その翌年、熊本の3代目院長M.ヒアシンタは、M.ベアタ、M.シャ-ル、M.ステル・デル・ゼの3名の協力者を得、7年間地中に埋もれていた召命の種を育て、1927年(昭和2年)には2名のノビスと3名のポスチュラントが修練に励んでいました。その翌年に熊本を訪問したM.クリゾストム管区長は、修練者がこれらの宣教者たちの深い信仰の精神と寛大で温かい心に触れながら、充実した修練期を送っていると報告しています。またプロバニストも増加し、この年だけで28名もいました。
1931年(昭和6年)修練院の東京移転を考えていたM.クリゾストムは、M.ディヴァン・パスツ-ルを修練長として派遣しました。それまでは熊本の院長が修練長を兼任していましたが、このとき初めて日本の修練院に専任の修練長が着任したことになります。これが、やがて東京の仮住まいで新たに始まる「正規修練院」の第一歩でした。1931年(昭和6年)までの20年間に20名ほどの若い誓願者が熊本にある最初の修練院を巣立っていきました。なかでも M.被昇天(エリザベト林京)の歩みは、初期の日本人の召命を描いているようです。この姉妹は、当初の規定通り10年間を「アグレジェ」として札幌修道院で過ごし、1922年(大正11年)より熊本の修道院で修練期を終えて1925年(大正14年)に「ス-ル」として初誓願宣立、1928年(昭和3年)にロ-マのグロッタ・フェラ-タ修練院に送られ、そこで更に一年の修練を加え「メ-ル」として終生誓願を宣立したあと1929年(昭和4年)に帰国しています。修練院が熊本から東京へ移されたのはそれから3年後のことでした。