「聖母の園」修練院を支える誓願者の共同体 このように始まった聖母の園の生活は活気にあふれていました。「養成の家」の生活基盤が整った頃、修練院に大きな動きがありました。これまで修練者と生活を共にしてきた誓願者たちが、同じ…
FMM日本管区の歩み-71
開墾から始まった「聖母の園」の生活 当時、神奈川県鎌倉郡大正村と呼ばれていた聖母の園の土地は簡単な鉄条網が周囲に張り巡らされた雑草地でした。この場所は戸塚、藤沢、大船の3つの駅の中心に位置し、どの駅からもバスが走っていて…
FMM日本管区の歩み-70
麹町からの移転 1937年(昭和12年)3月20日、修練院の定礎式が神奈川県鎌倉郡大正村でシャンボン大司教によって行われました。しかし、世界恐慌のあおりで一層深刻になった資金不足のために建築工事が中断されるという事態に度…
FMM日本管区の歩み-69
戸塚に新築された待望の修練院 日本の若い修練者に創立者の精神を浸透させ、会員の養成を一層強固なものにするために、M.ピエ-ルが抱いていた「養成を本来の目的とする修練院」設立の夢は、東京修道院と新設されたばかりの横浜修道院…
FMM日本管区の歩み-68
横浜修道院の創設 1935年(昭和10年)12月28日、最初の契約が結ばれたこの日、6名が管区長たちに見送られて聖ヨゼフに献げられた横浜修道院の創設に向かいました。2人の日本人看護婦も連れて、横浜に到着した一行は、関東…
FMM日本管区の歩み-67
本会の受諾と契約書の認可 本会が「横浜一般病院」から要請を受けた1935年(昭和10年)の横浜は、東京大司教区のシャンボン大司教の指導下にありました。この要請についてM.ピエ-ルから相談を受けたシャンボン大司教は、産業貿…
FMM日本管区の歩み-66
【新しい呼びかけに応えて ‐ 横浜修道院の創設 】 横浜一般病院からの要請 管区が総…
FMM日本管区の歩み-65
修練院の麹町移転-② 1935年(昭和10年)4月23日、最後のグル-プが麹町に到着して全員が揃うと、フランシスコ会司祭の手によって初ミサが捧げられました。そして、ベルギ-人の副管区長M.マグダラ、スイス人の修練長M.デ…
FMM日本管区の歩み-64
修練院の麹町移転-① 1934年(昭和9年)12月、実際、修練院にいる7名のノビスとポスチュラントのほかに8名のアスピラントが病院や養老院で働きながら入会の日を待っていたため、どうしても大きな家が必要になり、この有期誓願…
FMM日本管区の歩み-63
「オブラ-ト」修練院の閉鎖と正式入会-② 1925年 (大正14年) 11月7日にオブラ-トの修練院が札幌に開設されて以来、 1933年(昭和8年)の閉鎖までの8年間に、12名のオブラ-トが修練長のM.ステル・デル・ゼの…