熊本と人吉における事業の近代化-② このような状況の中で、管区長は患者への土産にフィリピンから楽器を持ち帰って、患者の心を和ませました。誰もが「人間らしい生活を送れるように」心を配りながら事業の近代化に務め、老朽化して不…
FMM日本管区の歩み-74
熊本と人吉における事業の近代化-① 1927年 (昭和2年)熊本と人吉の共同体は新しい時代を迎えました。この年に、創設以来長崎教区に属していた熊本と人吉の共同体が、新設された福岡教区の管轄下におかれ、これらの共同体の事…
FMM日本管区の歩み-73
事業の組織化と近代化 管区の養成の中心的な場として修練院を建て直すことは、M.ピエ-ルが最も情熱を傾け、詳細にわたって心を配ってきたことですが、管区の事業に対しても、管区が社会の必要に応じて進められる教会の宣教活動に積極…
FMM日本管区の歩み-72
「聖母の園」修練院を支える誓願者の共同体 このように始まった聖母の園の生活は活気にあふれていました。「養成の家」の生活基盤が整った頃、修練院に大きな動きがありました。これまで修練者と生活を共にしてきた誓願者たちが、同じ…
FMM日本管区の歩み-71
開墾から始まった「聖母の園」の生活 当時、神奈川県鎌倉郡大正村と呼ばれていた聖母の園の土地は簡単な鉄条網が周囲に張り巡らされた雑草地でした。この場所は戸塚、藤沢、大船の3つの駅の中心に位置し、どの駅からもバスが走っていて…
FMM日本管区の歩み-70
麹町からの移転 1937年(昭和12年)3月20日、修練院の定礎式が神奈川県鎌倉郡大正村でシャンボン大司教によって行われました。しかし、世界恐慌のあおりで一層深刻になった資金不足のために建築工事が中断されるという事態に度…
FMM日本管区の歩み-69
戸塚に新築された待望の修練院 日本の若い修練者に創立者の精神を浸透させ、会員の養成を一層強固なものにするために、M.ピエ-ルが抱いていた「養成を本来の目的とする修練院」設立の夢は、東京修道院と新設されたばかりの横浜修道院…
FMM日本管区の歩み-68
横浜修道院の創設 1935年(昭和10年)12月28日、最初の契約が結ばれたこの日、6名が管区長たちに見送られて聖ヨゼフに献げられた横浜修道院の創設に向かいました。2人の日本人看護婦も連れて、横浜に到着した一行は、関東…
FMM日本管区の歩み-67
本会の受諾と契約書の認可 本会が「横浜一般病院」から要請を受けた1935年(昭和10年)の横浜は、東京大司教区のシャンボン大司教の指導下にありました。この要請についてM.ピエ-ルから相談を受けたシャンボン大司教は、産業貿…
FMM日本管区の歩み-66
【新しい呼びかけに応えて ‐ 横浜修道院の創設 】 横浜一般病院からの要請 管区が総…