軍部の思想統制に対して日本の教会が選んだ道ー② しかしロ-マが目指していたキリスト教の文化的受肉と土着化に対して、適切な理解を示さない宣教師もいました。マレラ大司教は宣教会と修道会の外国人上長宛に度々通達や指令の小冊子を…
FMM日本管区の歩み-80
軍部の思想統制に対して日本の教会が選んだ道ー① M.ピエ-ルが首都の東京に管区館をおき、横浜修道院の創設、正規修練院の確立、事業の近代化を実現させた1930年代は、日本の社会変動に伴い教会が存続の危機に遭遇していた時代で…
FMM日本管区の歩み-79
世界大戦前の教会と本会の動きの中で 管区長のM.ピエ-ルによって管区の刷新と活気付けが促進された1930年代は日本の超国家主義の傾向が目立ってきた年代で、世界的にも大変動の時代でした。第一次世界大戦後の1920年、恒久…
FMM日本管区の歩み-78
札幌の共同体から独立した北広島修道院 1934年(昭和9年)、これまで札幌修道院に属していた北広島の共同体が分離独立し、オブラ-ト修練院の閉鎖で修練院長職から解放されたM.ステル・デル・ゼを初代院長とする正規の修道院にな…
FMM日本管区の歩み-77
札幌地域における事業の組織化 札幌地域も熊本地域同様、創立当初の小さな愛の奉仕活動の分野が次第に広がり、北広島と島松まで伸びていきました。関東大震災、世界恐慌、凶作などで大打撃を受けた貧困者に「生きる道」を開いていくうち…
FMM日本管区の歩み-76
社団法人「マリア奉仕会」の組織化 北広島を含む札幌と東京の事業は、FMMの社団法人「マリア奉仕会」のもとに置かれていた熊本と人吉の事業とは異なり、開設と同時に登記された「大日本天主公教宣教師団」のもとで、キノルド司教とシ…
FMM日本管区の歩み-75
熊本と人吉における事業の近代化-② このような状況の中で、管区長は患者への土産にフィリピンから楽器を持ち帰って、患者の心を和ませました。誰もが「人間らしい生活を送れるように」心を配りながら事業の近代化に務め、老朽化して不…
FMM日本管区の歩み-74
熊本と人吉における事業の近代化-① 1927年 (昭和2年)熊本と人吉の共同体は新しい時代を迎えました。この年に、創設以来長崎教区に属していた熊本と人吉の共同体が、新設された福岡教区の管轄下におかれ、これらの共同体の事…
FMM日本管区の歩み-73
事業の組織化と近代化 管区の養成の中心的な場として修練院を建て直すことは、M.ピエ-ルが最も情熱を傾け、詳細にわたって心を配ってきたことですが、管区の事業に対しても、管区が社会の必要に応じて進められる教会の宣教活動に積極…
FMM日本管区の歩み-72
「聖母の園」修練院を支える誓願者の共同体 このように始まった聖母の園の生活は活気にあふれていました。「養成の家」の生活基盤が整った頃、修練院に大きな動きがありました。これまで修練者と生活を共にしてきた誓願者たちが、同じ…