9年振りの家族訪問でした。家族訪問と言っても日本国内ではなく、南米の真ん中の国、ボリヴィアです。私の両親は1961年に子供4人を連れて、言葉も文化も違う自然豊かな国(当時は原始林と呼ばれていました)を目指して海を渡りまし…
某医科大学での一コマ
「あなたは学校の先生だったから適任だと思うのよ」の一言に背中を押されて10数年、某医科大学に通うようになった。学生としてではなく一人のシスターとしてである。医学生って・・・?どんな学生生活・・・?などなど、皆目知らずにス…
自然のいのち
私はブルキナファソに25年間、宣教者として派遣された。はじめは国立病院の外科病棟で看護師として働き、その後子どもの栄養改善プロジェクトに携わった。畑をつくり、養鶏、動物を飼育した。その後パキスタンに派遣され8年間滞在し、…
共に歩む(シノドス的)教会への一歩
2024年5月19日は、藤沢教会で行われた西村桃子さん(セルヴィ・エヴァンジェリー会員)によるシノドス体験をお聞きし、グループでの「霊における会話」に参加して、希望と勇気が与えられた恵みの日であった。 今年のローマでの世…
私たちを通して働かれる神さま
19世紀から20世紀にかけて北関東を中心に宣教されていたパリミッション会のカジャック神父様に導かれ、私の曽祖父はカトリック信者になりました。宇都宮の松が峰教会を中心にして教会活動をし、子ども、孫、そしてひ孫である私たちも…
待労院資料館「コール館」
待労院は1898年、熊本市に開設されたハンセン病療養施設です。2013年に入所者がゼロとなり施設は閉鎖され、資料館が作られました。待労院のために生涯をかけて尽力されたコール神父様のお名前をいただき、2016年に待労院資料…
神さまのプレゼント
神さまが私に与えてくださった環境は、滋賀県と福井県の県境で、峠を越えて京都に通じる山間の村です。海抜100mの熊川宿(鯖街道)の並びの家で祖父母、父母、姉弟5人の長女として84年前に生まれました。街並みに添って流れる一級…
みなさ~ん、こんにちは
私は73年前、神様から人生の旅路をいただき大阪の地に産声をあげました。右折、左折、曲折を繰り返しながら人生を怨み、「この世に神様が本当にいて、この辛いことが与えられているなら、決して神様に負けてたまるものか!神様の鼻をへ…
「タリタ・クム」少女は起き上がった
数か月前から、私はカトリック教会の組織の一つである難民移住移動者委員会の中の「人身取引問題に取り組む部会(タリタクム日本)」にメンバーとして受け入れてもらった。昨年10月末、英国からのミッションを終えて帰国し、日本での宣…
異国で生きる
ミャンマーから日本に派遣されて10年になる一人の姉妹は、病院で通訳として働いている。ミャンマー語の通訳がいると人づてに聞いた人が絶えず病院に来られる。 数年前から日本で仕事をしている30代の夫婦は、初めての子どもの出産に…