1850年にヘレナは姉マルチンに準備をしてもらい、待ちに待った初聖体を受け、神を親しく感じる喜びに浸りました。けれども家族には悲しい試練が続いたのです。まず、10月に大好きな従姉妹のオーレリが亡くなり、2カ月後にはヘレナをいつも可愛がってくれた姉マラウチンも天に召されました。4年後にはすぐ上の姉ルイーズも二人の幼子を残して亡くなったのです。ヘレナは苦しみ、生と死について考え、この世の空しさを感じました。
ナントに戻ったヘレナは、1856年聖心会で行なわれたマリアの子供会の黙想会に参加しました。指導司祭は始めに「この中に神様が愛し求めておられる一人の方がいます。この方のために皆で祈りましょう。」と不思議な予言とも思える言葉を言われました。ヘレナはそれは自分だと直感しました。黙想会の最後のとき、それまでずっと掟の神と感じていた神様が、限りない愛そのもの、美しさそのものであるお方であることをヘレナは悟り、神への渇きが癒されたのを感じました。ヘレナの生き方は変わってしまいました。
シスターになろうと決心したヘレナは1858年の暮れに指導司祭の薦めるパリのセナークル会の召命黙想会に参加する許しを両親に願いました。父はヘレナをパリに連れて行くと約束しましたが、母は娘と別れることに耐えられませんでした。ヘレナの出発の前日、母のシャポタン夫人は脳梗塞で倒れ、8日後に亡くなります。ヘレナは自分のために母が命を失ったと思い、苦しみました。父は苦しみのあまりうつ病になり、ヘレナは家庭になくてはならない存在になってしまいました。
1860年10月ナントにクララ会の修道院が創立されました。ある日、ヘレナは惹かれるようにクララ会の聖堂で祈り、大修道院長に面会を求めました。話しているうちにヘレナは光を受け、修道生活への希望を強く感じました。ヘレナは家族の友人であった司教に相談し、すべてを委ねます。その頃、兄シャルルは結婚し、彼と妻が父の世話をすることになり、ヘレナは司教の決めたクララ会に1860年12月9日入会しました。そこでの生活はヘレナの期待に十二分に応え、彼女は幸福そのものでした。
1861年1月23日、ヘレナの魂に深い印を残した出来事が起こります。聖堂に本を取りに行ったヘレナは突然、はっきりと次のことばを聞きました。「あなたは教皇様の代わりに十字架に釘付けられることを望みますか?」ヘレナは非常に単純だったので、実際に体を十字架に釘付けにされることを想像して、恐ろしく感じながら、でも … うなずきました。その瞬間、奉献されたかのように次の名前が下ってきました。「イエスのいけにえ、十字架に釘付けられたいけにえであるマリア」 このとき受けた精神的衝動があまりに強かったのでヘレナは病気になり、家族は彼女をル・フォールの家に連れ戻してしまいました。ヘレナは苦しみのうちに家に引きこもり、ひたすら図書室で読書に耽ります。この期間は彼女の霊的成熟のために豊かな糧を与えました。神様は私の未来にどのようなご計画をお持ちなのでしょう… 私がクララ会で受けた名前は何の意味を持つのでしょう… ヘレナは考えました。