日本列島の北端と南端から中央へ広がるフランシスコ会 札幌の修道院創設がフランシスコ会の再来日と深い関係があったことは既に述べましたが、東京の修道院創設も、フランシスコ会の東京進出と大いに関係がありました。フランシスコ会は…
FMM日本管区の歩み-45
FMM「社団法人マリア奉仕会」の設立 1929年 (昭和4年)、管区の歴史に新しいペ-ジが開かれました。それは、2年前に申請していた 熊本と人吉の事業を包括した「社団法人マリア奉仕会」の設立が内務大臣の認可を得ました。そ…
FMM日本管区の歩み-44(続き)
教会の中心に位置するFMM修道院の役割 東京大司教区に置かれた共同体の日々の生活は、駐日教皇使節、戸塚文郷師とその協力者ミス・ヴァイオレット、建築家、麻布教会婦人会のメンバ-など教会と建築の関係者の訪問、教会生活への参加…
FMM日本管区の歩みー44
東京修道院の創設 1929年 (昭和4年) 5月25日、思いがけず院長を兼任することになった管区長MクリゾストムとM.被昇天は中国から、そして、 M.ベアタが熊本から東京へ到着しました。この日姉妹たちは宿泊先のサン・モ-…
FMM日本管区の歩みー43(続き)
聖心聖マルグリット会「恵老院」の問題 本会が譲り受けようとしていた「恵老院」がいよいよ再設立という時になって、中国にいる管区長は、大司教から「老人ホ-ムの事業のことですが、補助金を受けるため11月10日までに少なくとも1…
FMM日本管区の歩みー43
1928年、東京大司教区が抱き続けてきた国際病院の設立と老人ホ-ム再設立の夢が本会の受諾により急速に現実味を帯びてきました。本会が購入した下落合の広い土地は本会の社団法人が認可されるまで『天主公教会の社団』に登記され、あ…
FMM日本管区の歩みー42
難航した病院の土地選び 1928年5月、南と北の共同体を訪問中のクリゾストム管区長は、土地の件についてシャンボン司教と戸塚師の三者間で手紙を交しながら具体的に話を進めました。会長に詳しく報告し、意見を求めつつ、病院にと…
FMM日本管区の歩み-41(続き)
聖心聖マルグリット会「恵老院」の経営受諾 シャンボン大司教が本会に引き受けてほしいと要請した「恵老院」は、1922年(大正11年) 3月19日に山本千代子夫人を会長とする麻布カトリック婦人会「聖心聖マルグリット会」が大森…
FMM日本管区の歩み-41
管区長M.クリゾストムの日本訪問 1928年(昭和3年)3月、サン・ミッシェル会長は、東京教区待望の国際病院を建てるために、管区長のM.クリゾストムを日本へ送りました。当時、日本の共同体は、中国北部、満州、モンゴルと同…
FMM日本管区の歩み-40
本格的に動き出したFMMのカトリック病院設立案 東京教区の年表によると、この教区に国際的なカトリック病院設立の動きが具体的に動き始めたのは1925年、戸塚師がパリで司祭に叙階されて帰国した年でした。東京にも「神の家」を…