マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

FMM日本管区の歩み-81

軍部の思想統制に対して日本の教会が選んだ道

しかしロ-マが目指していたキリスト教の文化的受肉と土着化に対して、適切な理解を示さない宣教師もいました。マレラ大司教は宣教会と修道会の外国人上長宛に度々通達や指令の小冊子を送り、ロ -マ布教聖省の支持に対する理解と協力を求めています。マレラ大司教が各修道会院長宛の1935年 (昭和10年)12月8日付の通達にはこう述べられています。

着任の時から私が抱いてきた最大の関心事の一つは、布教聖省の教えに従って        宣教者の間に、また種々の宣教事業活動の間によりよい調整一致を実現する         ことでした。細心の注意を持って対処しなければならない重要な問題の一つは        どのように愛国精神を表すかということです。この点に関して私たちが取るべき       態度は、原則として直接信仰に反しない限りこのことに広い理解を示し、祖国        への愛の行動であると正当に受けとめられていることなら、どんなことにも         誠実に協力することです。

5章16項目に及ぶこの通達を要約すると、宣教会修道会経営の学校に対する勧告、宣教会修道会の宣教事業活動と小教区との協力関係、日本の生活習慣・文化・言葉への適応、つまり文化的受肉の必要性が述べられ、会員各自には会への所属感を大切にすると同時に、会独自の事業において何よりも先ず「宣教者である」ことが強く求められています。1939年(昭和14年)2月2日付の手紙には次のように書かれています。

・国外で修道名を決める時、主キリストとの関係だけを考えて日本語の響きを        考慮せずに「御傷様」とか「御苦難様」といった名前をつけるので、日本人には      「奇妙でおかしく」響く名前もある。キリスト教国では御託身や贖罪の玄義は        よく理解されていても、非キリスト教国ではそうではない。

・日本人修道女の体力のなさを外国人修道女と比較するのは無益である。むしろ       食事、睡眠、入浴などについて、出来るだけ緩やかに日本の習慣に添うように        留意しながら、熱心な修道生活へと導くこと。

・事業が順調に運営されるように、役職にある修道女をある程度長く同じ場所に       留めること。キリスト教国では個人的な趣味や習慣に余り重きを置かないが、日本      にはもっと深く複雑な感受性があることを考慮に入れなければならない。

1937年(昭和12年)、日本軍の謀略か、中国軍の挑発か、中国共産党の陰謀か、日本軍に対して打ち込まれた一発の銃声から日中戦争が勃発し、これまで主にキリスト教系の学校に向けられていた軍部の厳しい思想統制や監視の目は、あらゆる機関と組織に及ぶようになりました。キリスト教会にとって最も大きな障害物となったのは1939年(昭和14年)4月8日に新しく発令された「宗教団体法」でした。これは保護監督の名目で直接各宗教団体を統制し、神道国家体制に即応させるための措置で、特に国体にそぐわないキリスト教は統制の的とされていただけに、カトリック教会も存亡の危機に見舞われたのです。そのような情勢の中で、日本のカトリック教会は存亡をかけて許される範囲内で政府の方策を受け入れざるを得ない状況に追い込まれていきました。