1930年代における本会の動き
このようにアジアとヨ-ロッパの両大陸で、言わばナチズムと共産主義が横暴している世界情勢の中で会長に就任したM.マルグリットは、本会のフランシスコ会入会50周年記念を迎えて、全会員にフランシスコ的召命の刷新を促すとともに、「本会は神から遣わされた使徒」という創立者の思いと一つになるように励ましつつ苦闘に満ちた試練の荒波の中を船出しました。
とりわけ本会にとって最大の脅威となったのは、1932年 (昭和7年) に上海で口火を切った日中事変の乱世に乗じて情け容赦なく襲ってきた中国共産軍と、1936年 (昭和11年) にスペインで起きた革命軍でした。中国ではM.クリゾストム管区長が率いるノ-トル・ダム・ド・ラ・ガルド管区が殉教の苦しみを経験していました。シェンシ-の姉妹から東京のM.ピエ-ルに届いた1935年6月4日付の手紙によると、次々と修道院が共産軍の襲撃を受け、分断され、特に捕らえられた姉妹たちの消息不明に苦悩していました。続いてスペイン管区が内戦の嵐に見舞われました。「多くのいけにえが必要な時」が来たことを予見した会長は、グロッタ・フェラ-タに集まっていた大家族に向かってこう言いました。「キリストから霊魂を奪い取る悪魔の治世がますます拡がっていきます。これは神の子羊とそれに属するすべての人に対する悪魔の戦いなのです」と。
1937年 (昭和12年)、会長は凄まじい迫害を受けて命からがらスペインからフランスへ逃れてきた姉妹たちとの再会の喜びも束の間、中国の姉妹たちについての悪い知らせに心を痛めました。日本軍の傍若無人な略奪・暴行・侵略が一層激しさを増し、遂に1938年 (昭和13年) 4月、錦州(満州)で3名のオブラ-ト会員が流血の「いけにえ」となって命を捧げたのでした。こうした極度な不安に包まれた雰囲気の中で、1938年総評議会が開かれようとしていたのです。