聖心聖マルグリット会「恵老院」の正式譲渡 1932年10月25日、聖母病院の運営が軌道に乗った頃、聖心聖マルグリット会「恵老院」が正式に本会へ譲渡されました。以後本会は、東京市と麻布教会の婦人部の支援のもとにこの事業を継…
FMM日本管区の歩み-55
管区館の足場づくり ー 国際聖母病院の危機と再建 意外にも、M.ピエ-ルを待ち受けていたのは開設されたばかりの聖母国際病院の問題でした。管区長の到着を知った初代病院長の戸塚文卿師から「辞表を提出することに決めました」と…
FMM日本管区の歩み-54
第5代管区長 マリ・ピエ-ル・ド・ジェズ (1932-1940) 「日本の殉教者の聖母」管区 1932年の総会で新設された「日本の殉教者の聖母」管区は日本とフィリピンから成り、新管区長マリ・ピエ-ル・ド・ジェズ (M.…
FMM日本管区の歩み-53
1932年の総会 1931年(昭和6年)8月4日に帰天した第4代会長 M.サン・ミッシェルは、第一次世界大戦で痛めつけられた会員の健康回復のために、ヨ-ロッパ各地にサナトリウムを開き、本会を戦争の荒廃から建て直しました。…
FMM日本管区の歩み-52
国際聖母病院の落成祝別式と開院式 東京大司教区の聖職者と信者が、6年もの長い間抱き続けてきた、カトリック病院実現の夢がかなえられる日が到来しました。1931年12月15日、無原罪の聖母の祝日8日目に、鉄筋コンクリ-ト3階…
FMM日本管区の歩み-51
国際聖母病院開院への動き もう一つの動きはフランス大使館の協力を求めたことです。聖母病院の建築も近づいた頃、シャンボン大司教は駐日フランス大使を通してフランス政府に援助を願い出ました。その依頼書には以下のことが書かれてい…
FMM日本管区の歩み-50
聖心聖マルグリット恵老院の新築祝別式 1931年9月8日、マリアの誕生の祝日に、病院敷地の隅の方に新築された木造老人ホ-ムの建物の祝別式がシャンボン大司教によって行われ、小聖堂で初ミサが捧げられました。このホ-ムは、1…
FMM日本管区の歩み-49
M.サン・ミシェル会長の帰天 1931年8月4日、電光のように突然、悲しい知らせが共同体に襲いかかりました。「会長帰天、シャトレに眠る」と、非常に短い電文がパリからでした。早々にM.アデマ-ルは日本の全共同体に電報で知ら…
FMM日本管区の歩みー48
日本のFMM共同体を一つに結ぶ東京修道院 日本の中心に据えられた東京修道院は、創設当初からフランシスコ会と親密な関係を保ちながら 聖フランシスコの精神を土台に築かれていきました。とりわけ院長を兼任することになった「王たる…
FMM日本管区の歩み-47
1928年(昭和3年)には、東京教区のシャンボン大司教がフランシスコ会を東京へ招くために、フランシスコ会のボナベントゥラ総長との交渉役を函館時代からの友人モ-リス師に依頼してロ-マへ遣わしました。その翌年、本会の東京修道…