戸塚に新築された待望の修練院
日本の若い修練者に創立者の精神を浸透させ、会員の養成を一層強固なものにするために、M.ピエ-ルが抱いていた「養成を本来の目的とする修練院」設立の夢は、東京修道院と新設されたばかりの横浜修道院の全面的な協力により、着々と実現していきました。
1932年(昭和7年)に修練院が東京へ移転して以来、本会の修道生活を志す若い女性の召命が広範囲にわたって輩出したこともその要因の一つでした。特に麹町では、駐日ロ-マ教皇使節をはじめとする教会関係者だけでなく、フランシスコ会、マリア会、イエズス会、サン・モ-ル会、聖心会などの宣教修道会との交流も広がっていきました。この2年間の統計をみると、入会者は11名、年に4回行われたセレモニ-では16名が着衣し、8名が有期誓願を宣立しています。その出身地も九州(長崎・人吉)、関西(神戸)、関東(東京・横浜・静岡)、北海道の全地区にわたり、その上、韓国で働いたことのあるパリ外国宣教会の司祭方の紹介で、韓国から受けた召命も数人ありました。
1936年(昭和11年)の2・26事件をきっかけに、社会は戦争へ向かって急速に動き出し「カタコンブの娘たち」の行く手は阻まれていったのです。一方で親の強い反対に対して、教会が出した「家族のもとに返す」という方針、他方では灯火管制、一日中鳴り響くサイレンの音、明治節の祝砲の響きなど、不穏な空気の漂う中、暗闇で食事をしたり、聖時間を過ごしたり、空襲に備えて練習する修練者の生活に入会者が少なくなりました。そのような中、11月に戸塚に土地を購入し、会長から祝福が送られてきたことで修練者の不安な心は和らげられました。そして12月には新しい修練院の保護者に「聖体の聖母」をいただき、不安は喜びに変わっていきました。