「聖母の園」修練院を支える誓願者の共同体
このように始まった聖母の園の生活は活気にあふれていました。「養成の家」の生活基盤が整った頃、修練院に大きな動きがありました。これまで修練者と生活を共にしてきた誓願者たちが、同じ建物の中に誓願者だけの共同体で生活するようになったことです。それは 12月2日の人事異動から始まりました。院長と修練長を兼任していたM.ディヴァン・パスツ-ルが熊本の院長になり、その後継者の院長にM.メルセデスが熊本から着任して来ました。これにより、M.セルベロンは修練長に、M.エディスタは副院長に、それぞれ正式に任命されました。
15日に行われたセレモニ-は誓願者と修練者の2つの共同体が新しい生活を開始して最初の着衣・誓願式でした。この日にあわせてようやく完成した修練院の祝別式が、シャンボン大司教によって行われました。この式にフランス大使夫人、鎌倉市長、片瀬市長、横浜の警察署長が聖職者と修道者、そして42名のFMMと同席しました。式の中で大司教は、マリ・ド・ラ・パシオンの会をたたえ、修練者が「本当に この会の修道生活を送りたいなら、最初の日から‘いけにえの精神’をいきいきと生きなければならない」と話しました。引き続き大司教は、非常に簡素で修道院らしい建物の各所を祝福して回りました。お祝いのパーティーが終わると、参加者は院内の隅々まで見てまわり、広い畑と庭を散歩して平和と喜びのオアシスを心ゆくまで味わい、帰途につきました。聖母の園はどの時代の修練者にも、観想的な雰囲気に包まれた囲いの中で自然に触れながら神と語らい、祈り、 働き、創立者の精神を学び、明日の宣教に備える「平和と喜び」のオアシスとなっていきました。それと同時に、近所の人たちからも憩いの場として親しまれました。特にクリスマスには、子どもたちが100人以上も集まってきて、馬屋のイエスさまを喜ばせました。また聖体の祝日には「花まつり」といって「村長さんをはじめ学校の先生と生徒たち150人以上が聖体行列に参加した」と日誌に記されています。
こうして「聖母の園」修練院は日本管区の養成の「かなめ」として重要な役割を果たしていきますが、1938年(昭和13年)12月、最初から管区長の夢の実現に貢献してきた修練長のM.セルベロンはマカオの院長に任命され日本を去りました。その後継者にM.フランドルが修練長になり、有期誓願を宣立したばかりのM.ソフィア (一杉満枝)が修練長を助けることになりました。