マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

手話で信仰を伝えられたら

私は19歳の時に手話に出会いました。その時にたまたま見たテレビドラマの主人公がろう者でした。手、表情の表現の美しさに惹かれたことを思い出します。 長い間、日常生活の中で聞こえない人に出会うことが少なくなり、使う機会がなくなっていました。

ある時、教会のミサで聞こえない人に出会い、手話で話すチャンスができました。彼女は朝のミサに来られ、隣に座りできる範囲で手話通訳を始めたのが、もう一度学び直そうと思うきっかけになりました。私の拙い通訳でも説教の内容が分かった時には、とても喜んでくれました。

手話サークルに通って手話を使う時間を増やし、ろう者とコミュニケーションを少しずつとるようになりました。彼らと関わることで、今抱えている問題、生活の中で感じていることを知り、生まれつき耳が聞こえないことがどういうことかが、少しわかってきました。彼らが得る情報は目からだけです。耳の聞こえないことは目に見えない障害とも言われます。言語が違うと文化が違うことと似ているように、実際その立場を経験しなければわからないものです。バーチャル器具を使って聞こえない人の状況を体験することができます。聞こえない状況が自分の体験としてわかるので、機会があれば体験できればよいです。

手話通訳者のレジェンドと言われた方の講演会に参加した時、通訳者が少なく、世間の理解もなくトイレに行く時間も取れなくて、通訳し続けて膀胱炎になったこともあったと聞きました。ろう者の要求が厳しく、心が折れたこともあったそうです。手話通訳者がろう者の生活に関わる重要な使命を担っていると知り、感動したことを思い出します。

コロナ以前は教会のミサ通訳を何人かで行っていましたが、コロナウイルスの蔓延により、手話でミサの奉仕をする機会がどこの教会でも少なくなっています。もう一度原点に戻って、手話講習会に通って手話を学びなおしています。もっと自由にろう者と分かち合い、共に生きられるようにと希望を抱いています。カトリックの信仰を手話で伝えられたら、もっと神様を近く知ることができるのにと思います。

2025年11月15日から26日までデフリンピック(ろう者のオリンピック)が、東京で初めて開催されます。デフリンピックは1924年に始まり、今年で100年目を迎えます。ろう者の社会参加と自立、情報保障、差別的な処遇の撤廃が進むことを期待しています。

(Sr.J.Y)