マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

Eco Tour in Bolivia(つづき)

さて、9年振りの家族訪問で初めて「エコ・ツアー」なるものがボリヴィアでもあると知ったことは驚きでしたが、その時ルレナバケで知り合った日本女性から、昨年は森林火災で多くの動物たちが焼け死んだと聞きました。それが今年も同じように起こっているのです。彼女はFacebook上で次のように投稿しています。

ボリヴィアは、森林火災などの環境危機に直面しているにも
かかわらず、先日行われた世界一斉野鳥カウントデーに合計 829種の鳥の生息が観察され、バードウォッチングの世界主要国5位だと発表されたとのことです!(ebird.orgの公式結果)こういうニュースはどんどん拡散したい!人間のエゴが起こす山火事は本当にもう止めたいです!!

ボリヴィア東部ベニ県に最初の日本人移民が来たのは、1899年のことでした。ペルーの日本人移住者が必要に迫られて、アンデス山脈を越えてゴム採取の労働に携わったと聞いています。その歴史は今年125周年を迎え、3世、4世の日系人たちが暮らしています。あの素敵な小さな町、ルレナバケで行われ、ボリヴィアの住民も参加した記念行事には、首都ラ・パス駐在の日本大使ご夫妻も来られました。浴衣を着て元気よく炭坑節を踊り、巻きずし、焼き鳥などの日本の文化を伝えるだけでなく、お互いの文化間交流を喜び合う子どもたちの様子が、とても印象的でした。

戦後ボリヴィアへ移住した沖縄県民は、移住から70周年を迎えました。沖縄は当時は連合軍に占領されていました。記念式典に参加された多くの人たちは、現在の広々とした農地を眺め、移住当初の苦労を想い、何を感じたでしょうか。海外移住の歴史は、お互いの文化がぶつかり合って、落としどころを見つけ、共存しながら織りなしていくものかも知れません。新しい世界、未来を夢見て原始林を開拓したことは、「開発」という名のもとに自然を破壊しながら人間の命をつないできたことなのかと、今になって考えさせられます。自然との共生を真剣に探し求める時が来ています。

日本に戻って、南米の地と日系人という観点から20年ほど南米の人たちの支援をしてきた経験を通して見えるものがあります。お互いの違い、言語の違い、文化の違いは互いに成長していける大きな機会となり、受け入れ合うことによって、多様で自由な社会が築かれていくのではないかと思っています。

しかし、現在の日本人の外国人労働者に対する受け入れはどうでしょうか?
ボリヴィアの人たちが私たちを受け入れたように、彼らと一緒に喜んで踊れるでしょうか?
それとも、時が解決してくれる問題でしょうか?

(Sr.S.K, fmm)