世界大戦前の教会と本会の動きの中で
管区長のM.ピエ-ルによって管区の刷新と活気付けが促進された1930年代は日本の超国家主義の傾向が目立ってきた年代で、世界的にも大変動の時代でした。第一次世界大戦後の1920年、恒久平和を願って成立した国際連盟の無力さを嘲笑するかのようにアジアとヨ-ロッパで戦火があがっていました。アジアでは1931年(昭和6年)の満州事変を皮切りに、上海事変から日中戦争へ突入した日本軍が中国全土を荒廃させ、これに乗じて共産主義勢力を伸ばしていった中国共産軍が全土を修羅場と化していました。ヨ-ロッパでは1933年(昭和8年)に誕生したヒットラ-のナチス・ドイツが力づくで 近隣諸国を併合・切断・占領し、遂に1939年(昭和14年)9月1日、欧州を第二次世界大戦の道へ引きずり込んでしまいました。その翌年、世界を敵に孤立し始めた日本も、ベルリンのヒットラ-総統府で日独伊の三国同盟に調印、独裁主義者ヒットラ-と全体主義者ムッソリ-ニと手を結び、軍国・国家主義思想統制のもとに太平洋戦争に突入していきます。このような緊迫した1930年代に、日本におけるカトリック教会と本会はどのように動いたのでしょうか。
「神社参拝」に対する教会の対応
ここで、1936年 (昭和11年) に布教聖省長官が日本の教皇大使マレラ大司教宛に送った教書の一部を紹介します。昭和11年と言えば、日本では軍国主義が台頭し、愛国心の表現として神社参拝などが義務付けられていた時代ですが、この教書を読むと日本の熱心な信者たちが良心の呵責に苦しまないようにとの教会の配慮が見られます。また、この教書が書かれたのは第二バチカン公会議の30年前でしたが、この時既に民族の文化や習慣に対して真の尊敬が払われていたことが分かります。記憶に新しいこの時代に啓示された神の愛にも注目したいと思います。以下は布教聖省長官フマゾニ・ビョンディ枢機卿がマレラ日本教皇大使宛に書かれた教書の抜粋です。その経過を辿っていくと、歴史の主が日本の社会の中でどのように働いておられるかを読み取る事が出来ると思います。
布教聖省は日本の教会から何回にも亘って次のような質問を受けました。
「異教の典礼に属するように見える行為を命じられた時、 信者はどのように行動したらよいか」 |
この問題を解説する前に下記の事柄を考慮に入れたいと思います。
・1659年、布教聖省は宣教師のために次のような「賢明な原則」を出した。 「民族の習慣や典礼が明らかにカトリックの教えに反していない限り、それを無理に変えるように要求してはならない」
・1932年(昭和7年)、東京大司教が文部省に提出した質問への回答 「学校の生徒達に義務付けられている祭儀参加の理由は宗教的なものではなく、単に祖国愛の表現であると確かに認めてよいか」に対して、文部次官は「神社訪問は学生・生徒の教育の一環であり、参拝の行為は祖国への愛と忠誠を表す目的でしかない」と答えています。
・1899年(明治32年)8月3日発布の日本政府の法令 公立学校での宗教行事と宗教教育を禁じているとすれば「神社での儀式は単なる市民行事にすぎず、宗教的性格を持つものではない」と結論づけることが出来ます。同様に、例えば葬式や結婚式のように本来宗教的儀式であったものが、今日の日本では全く宗教的な意味をもたずに行われているものがあります。それに参加しても宗教的行為の意味ではなく「親戚や友人に親愛の情を示す礼儀」と見なされています。もしキリスト信者がこれを拒否するなら、親戚や友人に対する礼儀と感謝に欠け、良い国民ではないと批判されることからも明らかです。
以上の教会内外の動きを鑑みて、事が重大なだけに布教聖省は注意深くこの問題を検討しました。専門家の意見を聞き1890年(明治23年)の長崎司教会議の要望や時代の変遷を考慮に入れ、歴代の教皇大使ム-ニ-大司教とマレラ司教及び日本の司教方の考えを聞いた上で、ついに1936年(昭和11年)5月18日の会議で熟考の後、具体的法則を打ち出すことに決定しました。
**************************************************************************************************************日本の司教方は、信者に次の事を知らせてください。
「神社の儀式は、政府からも一般の教養ある人達からも、単に国家・皇室・国の恩人への愛と尊敬の表現と見なされている。この意味でカトリック信者はこの儀式に参加し、皆と同じように行動することができる。誤解を避ける必要がある場合はこの意向を説明すること」
「同様に信者は、儀式・結婚式、その他日本の社会で習慣となっている儀式等、もはや宗教的意味を失い単なる相互の心情を示す社会的儀式となっているものに参加し、皆と同じように行動することができる」
ロ-マ 1936年 5月26日 フマゾニ・ビョンディ枢機卿 布 教 聖 省 長 官
チェルソコスタンティ大司教 布 教 聖 省 次 官
**************************************************************************************************************教皇ピオ11世は、以上の教書を5月25日認可され、日本の司教方には憂慮することなくこれを遵守するよう宣言されました。