管区長M.クリゾストムの日本訪問 1928年(昭和3年)3月、サン・ミッシェル会長は、東京教区待望の国際病院を建てるために、管区長のM.クリゾストムを日本へ送りました。当時、日本の共同体は、中国北部、満州、モンゴルと同…
マカオ - 新たな福音宣教
学校を定年退職した後も、新たな福音宣教の方法を探し求めて、宣教に励むシスターが体験を分かち合ってくださいました。 私は、長い間、学校で教え、修道者として、教育者として、恵まれた日々を過ごしてきました。学校を…
FMM日本管区の歩み-40
本格的に動き出したFMMのカトリック病院設立案 東京教区の年表によると、この教区に国際的なカトリック病院設立の動きが具体的に動き始めたのは1925年、戸塚師がパリで司祭に叙階されて帰国した年でした。東京にも「神の家」を…
FMM日本管区の歩み-39
戸塚文卿師を導いた摂理的出来事による、本会とフランシスコ会の東京進出 戸塚青年と神との出会いで最も大きな影響を与えたのは、先輩で代父の岩下壮一師でした。暁星、一高、東大と、二人は カトリック教会の前途有望な青年として同じ…
南アフリカ-世界宣教:人々のもとへ・・・
マリアの宣教者フランシスコ修道会は、世界宣教に捧げられた修道会です。南アフリカでミッションを続ける姉妹が、ミッションの様子を分かち合ってくださいました。 私は、出身国、コンゴ民主主義共和国では、学校で子ども…
どうしてFMMに? シスター佐藤ミチ子の巻
-シスターの子ども時代は? わたしは7人兄弟(男2人、女5人)の5女、末っ子です。小さい時に、姉を一人亡くしました。気がついた時は、姉・兄3人共、上の学校に行くために、都会に行っていました。休みの時に帰って来るだけでした…
FMM日本管区の歩み‐38
東京大司教区から国際病院設立の呼びかけを受けて 会長のMサン・ミッシェルのもとに届いた呼びかけのなかに、東京大司教区のシャンボン大司教と青年医師の戸塚文卿師のそれぞれから寄せられた国際病院設立の要請がありました。本会にと…
シスター アポリナリアの思い出
1963年9月、有期誓願式後から、私はSr.アポリナリアの共同体に入れて頂き、良いお手本を見せて頂けたことを深く感謝し思い出をわかちあいます。最初の面接で見つめられた銀色の瞳に、小学3年の夏休みの終わり頃、中国済南市でお…
Sr. マリア濱﨑セリの巻
昨年の12月10日100歳のお誕生日をお祝いしたシスターマリア濵﨑セリに聖母の園老人ホームでショ-トステイをしているあいだに、数回に分けてインタビュー致しました。 ― シスター濱﨑の出身地はどこですか? 長崎県の北松浦郡…
レインボー移住者センター ― 韓国
1992年に外国人労働者を受け入れるようになって以来、多くの外国人が韓国に入ってきました。出生率の低下や高齢化によって、労働人口が減り、また「3D(汚い、難しい、危険な)仕事」が敬遠される中で、外国人労働者の数が増えてき…