「平和な世界を作るなら 心から悲しむ人と出会うこと これが平和の出発点。
平和な世界を作るなら 心から苦しむ人と出会うこと これが平和の出発点。
平和な世界を作るなら 心から病気の人と出会うこと これが平和の出発点。
平和な世界を作るなら 心から喜ぶ人と出会うこと これが平和の出発点。」
これは「あかつきの村」創始者の石川神父様の詩の一節です。私たち前橋修道院は、色々な人々との出会いの中で、歩みを進めて来ました。私たちの修道院の歩みを少し紹介いたしましょう。
「高齢の人々と・・・」
1980年3月24日、角田儀平治氏の招聘によって、前橋市の養護老人ホーム「恵風園」の特老新設事業支援のために4名のシスターが、市内の借家で共同体を始めたのが、前橋修道院の始まりです。当時まだ、数少なかった特別養護老人ホームを設立するために、すでに「聖母の園老人ホーム」で体験を積んでいた4名のシスターが「恵風園」で、お年寄りへの奉仕と、新ホーム設立のために奉仕しました。4年後、事業が軌道に乗った時点で、シスターたちは「恵風園」から手を引き、前橋教会や桐生教会での司牧活動を主な使徒職とするようになりました。
「教会に集う人々と・・・」
前橋教会や桐生教会で、多くの人々の出会い、要理教育を通して、また霊的同伴を通して、人生の様々な段階にある人々と喜びや悲しみを共にしてきました。この使徒職は、今でも、続けられています。現在、私たちの共同体の近隣の教会には、外国籍の信徒が大勢集っています。それで、今では、教会で出会う人々は、日本人信徒よりも外国人信徒の方が多いくらいになりました。外国籍の信徒の多くは、生活の困難を抱えながらも、明るく信仰を表し、高齢化が進む日本人信徒の中にあって、教会の重要なメンバーとして活躍しています。現在、私たちは、桐生教会、大間々教会、足利教会などで外国人も含め、信徒の方々、そして信仰を求めて教会にやって来る人々との出会いを大切にしています。その中でも、特に次代を担う子どもたちの信仰教育に力を入れ、幸いにも多くの子どもが集う教会で、教会学校などの奉仕をしています。
「苦しむ人々、悲しむ人々と・・・」
1985年から、「あかつきの村」での奉仕が始まりました。「あかつきの村」とは、浦和教区の石川能也神父様が、「愛するが故に、ひとりひとりを自由な人間として認め、更にその上で、助け合う喜びが発見できるような、小さな村をこの地上に、具体的につくろうではありませんか。それは、とても難しく困難であることは分かっております。しかし、どんな大きな障害があり、いくど失敗しても、希望を持って、やはり、つくろうではありませんか。」と呼びかけて1979年に作られた村で、最初は居場所のない日本人を、そして1980年代にはベトナム難民を受け入れ、文字通り「誰でも疲れた人重荷を負う人」が共に集う共同体として、歩みを続けてきました。
私たちFMMは、1985年からあかつきの村の奉仕をさせて頂いています。1989年には、前橋市内の借家からあかつきの村付近の小さな一軒家に移り住み、現在に至っています。創始者の石川神父様も帰天され、あかつきの村も時代と共に、変化してきていますが、私たち前橋修道院のメンバーは、いつも、あかつきの村に集う「苦しむ人々、悲しむ人々、病気の人々と・・・」共に歩んでいます。
「地域の人々と・・・」
小さな上毛電鉄の北原という無人駅から徒歩で20分ほどの、野菜畑が広がる現在地に修道院が移ってきてから、今年で28年になります。周りの方々に支えられて、今までの歩みを進めて来ることができたことを感謝しています。塀がなく、周りに開かれている私たちの家に、いつも近隣の方々が野菜などを置いていってくださいます。心優しい素朴な地域の人々に暖かく受け入れていただき、私たちは、人々との心の通う出会いを体験させていただいています。「する」ことではなく、「ともにいる」ことで、お互いを分かち合える喜びを感じている日々です。都会の忙しい環境の中では味わえないゆったりとした時間の流れの中で心と心の触れあいを生きることができるのは、本当に大きなお恵みです。私たちは、地域の人々の御親切に応える物は何も持っていませんが、「お祈り」でお返ししたいと思っています。そして、地域の人々から「シスターたちは祈る人たち」と見られ、お祈りの依頼を受けることは、とてもうれしいことです。
時代によって、出会う人々は変わってきていますが、私たちは、いつも「心から人々に出会う」ことを心掛け、北関東の田舎から「平和な世界を」作り出したいと願っています。