マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

亘理修道院

できたてほやほやの亘理修道院

%e4%ba%98%e7%90%8612015年4月7日 マリアの宣教者フランシスコ修道会の福者マリア・アスンタの記念日に、亘理共同体は創設されました。メンバーは、韓国から派遣されて7年目のSr.マグダレナ・柳、教誨師をしていた経験豊かなSr.大垣、そして南アフリカから去年帰国したばかりのSr.内田です。まずは、閉じられていた古い日本家屋の大掃除。心の大きな大家さんに鍋、釜を借りながら、共同体作りに励みました。初めて顔を合わせた私達、ゴミ箱の位置をどこに置くか、から始まって、すべてのことについて共通理解をするために、徹底的に話し合いました。個人の歩み、家族や召命物語など、互いをよく知るための笑いと涙のわかちあいが続きました。

%e4%ba%98%e7%90%866さて、やっと形が整い、4月30日、グアダルーペ宣教会のホセ神父様による初ミサが捧げられました。小さな聖堂の聖櫃に、ご聖体の主イエスが安置された時の感動を言い表すことはできません。「霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である」(ヨハネ4:23)というみ言葉と共に、キリストの光が、亘理町の隅々まで注がれるように感じられました。

海風が、広い田畑の上を通り過ぎる亘理町は、亘理町公式サイトによると、3.11の大津波で「町面積の48%が浸水、死者・行方不明者は計306人、5,600棟の住宅が全半壊した」所です。現在は、仮設から復興住宅へ、海岸線には巨大な堤防が築きあげられています。亘理修道院は、県南4教会(亘理・白石・角田・大河原)のサポートと、被災地支援、そして福島の原町共同体と協同するために創設されました。とは言っても具体的なプロジェクトも使徒職もない私達が、まず、心がけたのは、いつでも、どこでも、誰のところでも3人で、という姿勢でした。信徒、地域、そして、ボランティアの方々の要請に応えていくという行き当たりばったりの毎日であったにも関わらず、「ああー、あまりにも多すぎる主の恵みに心がはちきれそう・・」と一人の姉妹が悲鳴をあげるほど、毎日が新しい出会いと体験に溢れていました。特に、長い間教会を離れていた方が、ご聖櫃の主イエスに引き寄せられるようにして、この共同体を訪れられた出来事は、「エウカリスチアのイエスこそ本会の偉大な宣教者」という創立者マリ・ド・ラ・パッシオンの言葉の実現そのものでした。

・・・そして、2016年3月11日。 東北大震災から5年目という節目を亘理共同体として初めて迎えました。2時46分、町中を響き渡るサイレンの重さが心を貫きました。教会での追悼ミサ、震災モニュメント前での黙祷、一人娘さんを亡くされた方の家の跡地での祈り、諸宗教の合同の祈りへと、一日を絶え間なく移動しながらも、この日、一日がまるで時が止まったかのように感じていました。約2万人という人びとの命、愛する人を失った人びとの慟哭、原発により故郷を追われた人びとの無念・・すべてが重なりあい、収斂されたような時間の感覚でした。

%e4%ba%98%e7%90%8633月27日ご復活の主日、亘理創設の苦楽を共にしたSr.マグダレナ・柳を送り出し、海外宣教経験豊かなSr.南雲を迎えました。そう、亘理共同体に、新しい展開の予感!・・を感じていたところ、4月14日 熊本で震度7という速報が、そこへ、一番に連絡を下さったのは、東北大震災で被災され、会社が閉鎖、いちご農園を一から始められたMさんからでした。いちごを無料で提供するから、それを販売して、義援金にするようにとの申し出でした。亘理教会の信徒の方々、仙台ダルクの仲間達と共に、いちご摘み、パック詰め、輸送、販売とこなし、その1週間後、Sr.内田は熊本の地に立っていました。義援金と共に、託されたメッセージをそのまま伝えるために。被災された東北の人びとからの励ましの言葉に、うつむき、静かに涙する熊本の被災者の方たち。人事ではない、その想いが、間髪をいれず、私たちのもとに届けられ、それが熊本の被災者に伝わっていました。苦しみを通った人びとだけが、伝えることができる言葉。東北と熊本が亘理修道院というこのちっぽけな存在を通して繋がった不思議な時でした。

%e4%ba%98%e7%90%865そして、今、常住司祭不在の4教会の信徒の方々との新たな歩みの中にあります。霊的活気付けとして、レクチオ・ディビナや聖書講座の開講、フランシスコを通しての青年の集い、様々な講座への橋渡しをすること。教会での被災者の方々の集い、保育園を通してのミッション、仙台ダルクの仲間達やフィリピン人の家庭との交流の深まり、などです。振り返れば、順風から逆風へ、そして凪から追い風を受ける舟のような1年と6ヶ月でした。「霊の導きに従って歩みなさい」(ガラ5:16)の言葉のように、亘理に吹く聖霊の風に注意深く耳を傾け、声にならない叫びを聞き取り、マリアのように、軽やかにその場へ駆けつけていきたい・・それが私達、亘理共同体の望みです。