マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

日本管区の歩み

FMM日本管区の歩み-17

                     フランシスコ会(小さき兄弟会)の再来日 いよいよ、ベルリオーズ司教からローマのフランシスコ会の総長及び本会の会長と交わした「働き手」派遣の約束が実現される時が迫ってきました。総長…

FMM日本管区の歩み-16

函館を宣教基盤として進められた札幌の宣教地  日本の開国で一斉に開港場に上陸したプロテスタント諸派の宣教師たちが、国の定めた外国人居留地を拠点に活動を開始していますが、カトリック教会にも新しい展望が開かれていました。開港…

FMM日本管区の歩み-15

北の地にも蒔かれていた福音の種 先ず、最南の地に蒔かれた福音の種が キリシタンの迫害時代に 最北の地・蝦夷が島にまで飛んでいた事実に注目したいと思います。キリシタンの全滅を図った幕府の禁教令がかえって キリシタンを国の方…

FMM日本管区の歩み-13

来日10周年記念の年を迎えて キリストの教えを説く伝道師 1908年に本会は来日10年目を迎えましたが、特別に記念行事を行ったわけではありませんでした。この10年は、日本の文化も言葉も何も知らずに来日したシスタ-たちにと…

FMM日本管区の歩み-11

カナダ管区に支えられた久留米と人吉の創立 1905年 (明治38年)、9月に日露戦争が終結して、早くも12月には管区長のマドレヌ・ド・パジは中国から熊本に到着し、生前マリ・ド・ラ・パシオンが約束していた久留米と人吉の創立…

FMM日本管区の歩み-10

熊本から久留米と人吉のミッションへ   久留米教会のソーレ師 1903年 (明治36年)、7名の姉妹の殉教後、タイヤンフ-の共同体が再建されたのを見て、Mマドレンヌ・ド・パジは2年ぶりに日本訪問の旅に出ました。この訪問は…

FMM日本管区の歩み-9

日本と同じ管区の中国で起きた7名の殉教 1900年 (明治33年) は、日本の共同体にとって待労院新築の「奇跡的な」実現により希望に満ちた新世紀のはじまりとなりましたが、同じ管区に属する中国の共同体では新世紀の過酷な幕開…