マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

FMM日本管区の歩み-37

新設された「王たるキリスト」管区(日本、中国北部、満州、モンゴル)

日本の共同体は、本会の来日25周年記念の年を迎えると、熊本と札幌を中心に宣教の活動範囲が一層広がっていきましたが、本会全体としても1926年に開かれた総評議会のもとに新しい時代を迎えて新しい歩みを始めていました。

アジアに新設された「王たるキリスト」管区

1926年 (大正15年) 12月10日に開かれた総評議会は1911年総評議会が決定したヨ-ロッパと宣教地の国々から成る管区の編成に重大な不都合が生じてきたために、アジアがヨ-ロッパの管区から分離され、本会の来日当初、世界に僅か7つしかなかった管区が、この総評議会で16管区を数えるまでになりました。

その結果、日本の共同体は、中国北部、満州、モンゴルとともに新設された「王たるキリスト」管区に編入され、管区長にベルギ-人のマリ・ド・サン・ジャン・クリゾストム(Marie de St.Jean Chrysostome)が任命されました。これにより日本の共同体は、1911-1920の期間を除き、1932年まで常に中国と同じ管区に属し、7人のFMMが殉教した歴史をもつ中国と同じ管区で4人の歴代管区長のもとにFMMの召命の道を歩む恵みを受けてきました。

マリ・ド・サン・ジャン・クリゾストム管区長

4代目の管区長となったM.クリゾストムは、日本に本会の修道院が創立された年に、シャトレで着衣を受け、北アフリカのチュニジアで宣教生活を送ったのち、ロ-マの聖へレナ聖堂で終生誓願を宣立し、マリ・ド・ラ・パシオンから中国のミッションについて直接学んだあと、異教色の強い成都(チェントウ)に派遣されました。そこで多くの難関に出合いましたが、堅固な信仰と忍耐をもって乗り越えた強い人物でした。

新管区長にM.クリゾストムを迎えるという知らせが日本に届いたのは1927年(昭和2年)1月27日、本会創立50周年記念の年でした。

時代は大正から昭和へ移り変わり、国民は自由で平和な大正時代に続く昭和の新しい時代に大きな期待を寄せていました。というのも、大正時代に社会主義運動が活性化し、「男尊女卑」の思想から解放される道が開かれ、女性が政治、社会、労働、文芸の各方面に進出し、女性参政権の要求など女性の社会的地位向上のための運動が組織的に進められてきたからです。

日本の教会も希望の春を迎え、順調に発展していきました。1927年 (昭和2年) 7月、 長崎教区はパリ外国宣教会の手を離れて、日本人最初の司教としてロ-マで叙階された早坂久之助司教の下に置かれ、同時に福岡教区が長崎教区から分離独立してパリ外国宣教会フェルナンド・チリ司教が初代司教になり、これに伴って熊本と人吉の修道院が新設の福岡教区に属することになりました。また1929年 (昭和4年) には札幌知牧区が代牧区に昇格され、キノルド師が代牧区の司教に着任しました。

本会創立50周年を祝って 

1927年 (昭和2年)、昭和時代の幕開けに迎えた本会創立50周年記念の年は管区に多くの実りをもたらしました。その一つが南の熊本と北の札幌との中間に位置する東京に修道院創設の要請を東京大司教区から受けていたことです。この年、全国版カトリック・タイムス(後のカトリック新聞)が婦人欄に「マリア・フランシスコ宣教修女会、創立50年記念」と題する記事を掲載しました。その中で本会を「博愛の姉妹会」と呼び、「聖フランシスコの精神を体して教会の事業を助け、常時聖体を礼拝する会」と紹介し、「シスタ-たちは伝道館に無原罪の聖母の油絵、創立者マリ・ド・ラ・パシオンと中国で殉教した同会の7名の修女の絵をおき、その下に小さき聖テレジアのごとく天主のはしためであるアスンタの肖像画を飾った」と 述べています。ちなみに、本会が日本で初めて全国版の同紙に紹介されたのは1924年 (大正13年) の記事で、その時、本会を「我がカトリック教会の誇り」と報じ、「FMMの外国事業が会創立以来非常な進歩を遂げているのは神の祝福の並々ならぬことを証明している」と書き、「シスタ-たちは貧しい人に差別なく助けの手を差し伸べ、彼らを孤児院、養老院、病院に収容して世話をしながら自らは貧しい者の一人として生活している」と述べた上で、特に、ハンセン病者の救済事業を大切にしながら熊本地方と札幌方面で宣教奉仕してきたFMMの努力奮闘を称え「無原罪の童貞が彼女らの不足を補い、聖水をもって奇跡的に病を治した」とも書いています。その後も、カトリック・タイムス紙は、財政困難で窮地にある待労院の実情を報道するとともに全国に寄付を呼びかけ、待労院を支援していました。

札幌でも本会創立50周年記念行事が盛大に行われました。キノルド司教司式の記念ミサにフランシスコ会の兄弟姉妹が大勢参加し、家族的な喜びで満たされました。カトリック・タイムス紙はこの記念行事を報道し、その中で本会を「フランシスコの精神をもって教会の事業を助け、常時聖体を礼拝する会であり、日本では熊本、人吉、札幌の3か所で働いている」と紹介しています。これらの記事を通して、日本列島の北と南の外れで最も助けを必要としている人たちに慎ましく奉仕しているFMMの存在が全国の教会に広く知られるようになりました。

フランシスコ会の週刊新聞「光明」に掲載された本会50周年記念の記事