マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

FMM日本管区の歩み-36

本会の来日25周年記念を迎えて   

第一次世界大戦が世界宣教を使命とする本会に与えた打撃の大きさは計り知れないものがありました。終戦後、サン・ミシェル会長はこの大戦で破壊された修道院や関連施設の建物の修復と会員の病気回復のために東奔西走の日々を過ごしていました。日本の共同体は、大戦の影響を直接受けることなく、日本の南と北の宣教地で36名の外国籍の会員が世界宣教の使命を果たしていました。本会来日25周年を記念した1923年には、創設当初に植えられた福音の小さな種が長い年月を経て大木となり、寄る辺のない子どもや老人、病人のための施設を開くまでになり、地域社会に浸透していたのです。

この記念日に、日本にある3つの共同体が特別に記念行事を行なったわけではなく、ハンセン病院の「待労院」が本会来日25周年記念日を創立記念日として「琵琶崎待労院の事業」と題する小冊子を発行し、本会がコ-ル師から引き継いできたこのハンセン病事業の存在を初めて世に紹介しています。この日、待労院では、帰天したシスタ-たちと患者のための追悼ミサと恩人のための感謝ミサが捧げられました。小さな療養所から始まったこの事業が待労院、育児院、養老院の3事業と中尾丸の一般診療所にまで発展してきたのです。世界大戦の危機を乗り越えて迎えた待労院創立25周年は計り知れない「神のわざ」に感謝する時となりました。その軌跡を共に歩んでみたいと思います。

熊本では、修道院と同じ敷地に孤児院が開かれるようになったのは、孤児となった一人の赤ちゃんを修道院に引き取り、シスタ-たちのベッドに寝かせて世話したことがきっかけでした。1912年には、孤児の増加で修道院では収容しきれなくなり、「育児院」が建てられました。同じように、路傍に捨てられていた一人の老人を引き取ったことがきっかけで、老人ホ-ムがつくられていったのです。最初は1915年に8名の老人が敷地内にある改造された納屋に住み始め、その後も貧困老人が相次いで助けを求めてきたので、1919年に育児院の一部を改造して「聖母養老部」が設立され、1928年にはこれが独立して「琵琶崎聖母養老院」となりました。

人吉の場合も同様でした。シスタ-たちは、生後間もない乳児をかかえて診療所に来た未亡人の困っている様子を見て放っておけず、その子を一時、修道院で収容保護しました。その後、地域の人たちからも 哀れな子どもたちを引き取って養育してほしいと願われて、その場所を設けましたが、年々 子どもの人数が増え、1923年に「聖心育児園」が開かれました。 

札幌でも同じように、社会の必要に応じて事業が発展していきました。当時、産業の発達により国中に結核患者が激増していました。この伝染病にかかった病人は、ハンセン病者のように恐れられ、 家族から引き離され、誰からも世話されずに悲惨な生活を強いられていました。天使病院はこれに即応して1922年に診察室の改築と同時に放射線装置を設け、伝染病室の一部を結核病棟としました。

この病院に子どもの施設がつくられたのも、出産後間もなく死亡した患者の遺児を、引き取る人がなく家族が途方に暮れているのを見兼ねて、病院の一室に収容したことが直接のきっかけですが、1923年の関東大地震で孤児となった子どもたちの収容施設として発展していきました。この大震災は関東一帯を襲い、殆ど全ての建物が崩壊または焼失してしまいました。家族を亡くし、衣食住もない気の毒な人たちが傷だらけのまま路頭をさまよう有様でした。教皇ピオ11世は、アメリカの教会にその窮状を知らせて救援を求めるとともに、自らも日本政府と教会に義損金を送り、日本の3共同体も 非常に貧しい中から義損金と救援物資を送っています。このように、被災地には全国各地から義捐金と救援物資が送られてきました。特に救援活動を依頼された北海道庁は、食糧、看護婦、医師、警官などを多数現地に送りましたが、何よりも保護を求めて北海道に渡ってきた避難民の世話に追われていたといいます。札幌修道院でも北海道へ避難して来た人たちを病院に、また フランシスコ会の依頼に応じて両親を失った5名の孤児を修道院に、それぞれ引き取りましたが、捨て子や孤児が増加するにつれて収容場所がなくなったため 医師のために用意してあった家に移動し、この家を「天使園」と名付けました。

このように、3共同体は一銭ももっていないハンセン病者、病人、子ども、年寄り、貧しい人たちを追い返さずに無償で受け入れ、使徒的な貧しさの中で喜んで世話をしていました。

 

 日本の共同体の統計(1898年~1923年)熊本、人吉、札幌

帰天者 : 6名( 外国籍の会員 5名、日本籍の会員 1名)

他の宣教地に派遣されて日本を去った外国籍の会員 19名

会員数: 59名(外国籍の会員  38名、日本籍の会員 1名、修練者 8名、アグレジェ 12 名)