日本の参戦と在日外国人に対する政府の処遇-①
1941年(昭和16年)12月8日、日本は真珠湾の突撃で、4年半にわたる日中戦争から更に米英という大国を相手に戦争に突入しました。太平洋戦争の開幕を告げる大本営発表がラジオの臨時ニュ-スで全国に流れ、突然の宣戦布告に日本全土を恐怖で埋め尽くしました。朝6時のニュ-スでこの事実を知った管区長館の共同体は、いったい何が起こっているのか分からないまま、これから直面する大試練に備えて聖堂で心をこめて礼拝をささげ、それからオラトワ-ルで無原罪のマリアに自己を奉献し、本会全体を委ねました。
この戦争を日中戦争の延長と考えていた大本営は、その呼称を「大東亜戦争」と決定し、アメリカ人、イギリス人、カナダ人、アイルランド人、オ-ストラリア人、ニュ-ジランド人、オランダ人、ベルギ-人のカトリック宣教師や修道者を「敵国人」と見なし、「敵国人」抑留所として接収したカトリック施設へ連行して収容し、「敵国宛て郵便物の取り扱い停止」、それ以外の外国人には「自宅軟禁」、極端な外出制限、または禁止の処遇をとり始めました。
第二次世界大戦勃発以来、母国政府からの応召命令や強硬な引き揚げ勧告のため日本を去って行った外国籍の宣教師や修道者もいました。それでも日本開戦の年には597名の宣教師と342名の修道者が日本に残り、その殆どが日本で終戦を迎えています。カトリック中央協議会の資料によると、そのうち303名が男女別に全国18か所ある「警視庁敵国人収容所」に抑留されていますが、抑留中にどのような処遇を受けたかについては長年世に知らされませんでした。宣教者たちは「神の国」のため「愛する宣教地・日本」のために沈黙を守り通してきたからです。
日本管区も18名の対戦国籍の会員が抑留生活を経験していますが、当事者である会員から当時の苦しい体験を聞いたことのある姉妹は殆んど皆無でした。敗戦後の混乱する日本社会の中で教会が沈黙を守り通したことは、戦争によって分裂した民族間の敵意や憎しみを消し去り、そこに「神の国」を実現させるためだったのでしょう。幸いにも、留守中の姉妹たちを励まし、相互の一致を深めるために抑留所で書かれた手紙が残されています。それから分かることは、抑留された会員たちが日本の国と国民を心から愛し、唯ひたすら平和な世界の実現を願って、抑留中の犠牲と祈りを神に捧げていたことです。この記録から抑留中の様子を幾分うかがい知ることができます。