マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

フランス語学習 奮闘記 

FMMのシスターとして生涯生きることを誓った終生誓願から、はや数年。修道生活の中心は祈りと活動ですが、活動修道会に所属する私たちは、会から委ねられた何らかの活動を「使徒職」として受け取り、神からのものとしてそれに応えていきます。終生誓願の時に私も一つのミッションをいただきました。それは、これまで行われてきた研究をもとに創立者について新たに学び、FMMのカリスマや霊性について、姉妹たちや一般の方々にわかちあうことです。

そこで避けて通れないのがフランス語の習得…。というのも、私たちの会の創立者マリ・ド・ラ・パシオンは19世紀のフランス人で、彼女の書いた膨大な霊的手記はすべてフランス語で書かれているからです。私は入会するまで、フランス語にはまったく縁がありませんでした。志願期に少しだけ姉妹から学びましたが、それはもう15年も前のこと…。

そのようなわけで私は、昨年4月にフランス・ベルギー・オランダ・フェロエ管区に派遣され、12月までパリの共同体に滞在することになりました。会のアーカイブスのあるブルターニュ地方のサンブリューでは、数年前からこのミッションを担当する姉妹たちのための研修が行われています。

とはいえ、渡仏当初はなかなか思うようにいきませんでした。大学の語学コースが始まってまもなく私もコロナに罹り、体調が整うまでに時間がかかってしまいました。さらに、フランス語の複雑な動詞活用や単語を、若い頃のようには記憶できない…。勉強自体は好きだったはずなのに、どうにも力が湧いてきません。

加えて、フランス語圏にミッションに行く姉妹たちが必ず通っていくパリの共同体は、14国籍の国際共同体です。姉妹たちとの共同生活は喜びですが、誤解やすれ違いは日常茶飯事。同じ修道会の姉妹同士ですが、これまでの私の「常識」は通用しません。こうした適応におけるチャレンジは、ユニバーサルミッションを生きる私たちにとって珍しいことではありません。姉妹たちは皆、ある種の覚悟を持っていると思います。そうして自分の限界に日々向き合いながら、じわじわとやってくる「老化」にも直面させられていた私は、さまざまなものが一気にやってきた気がして、祈りながらも途方に暮れていました。

そうして迎えた大学の期末試験。読解問題は日本人作家の自伝から出題されました。思いがけず、これが私の転機となったのです。フランスで人々に愛され多くの賞も受けているこの作家は、日本語ではなくフランス語で作品を発表しています。しかし、彼にとってフランス語は母国語《langue maternell》ではありません。彼が生まれ育ったのは、日本語を国語と定め、公用語は規定しない日本という国。では、なぜ彼はフランス語で書いているのでしょうか?フランス語は彼にとっていったい何なのでしょう?それが読解問題の主題でした。それは《langue paternelle》、つまり、父からのもの、父性のものだと彼は表現しています。戦時下にあって西洋音楽を聞き、西欧の文化に親しんでいた父親の姿が、彼に影響を及ぼしているようです。

しかし、実際に彼がフランス語を学ぶようになったのは大学時代のことで、自らの選びです。彼は著書の中で、フランス語によって世界と自分との関係性が変化していく様を語っています。長年フランス語で作品を発表するうちに、彼は「自分の言葉がフランス語になった瞬間に、母国語である日本語の純粋さが失われていく」のを体感しています。他方で、フランス語はどこまでいっても外国語であって、30年以上使っていても「わからない」というのです。そうした現実を彼は、「二つの言語の間を放浪している」と表現しています。

私は、この作家とフランス語との生きた交わりのようなものにどういうわけか惹きつけられ、試験が終わってから何度も、引用箇所を読み返しました。創立者の文献を読むことがミッションの一部となって初めて本格的に学ぶことになったフランス語という外国語は、私にとって何なのでしょうか…?このミッションが父なる神からのものだと信じる時、フランス語は私にとっても《langue paternelle》と言えるのかもしれません。そんなことを思いめぐらしているうちに、喜びが生まれてくるのを感じています。

私が日本に戻ったのはクリスマス直前。帰国の日、私はパリの書店に立ち寄り、注文していたこの本を受け取ってから空港に向かいました。この作品との出会いは、神様からの贈り物だと思っています。

(Sr.T.T)