*創設時の姉妹たち:Sr.筑摩輝子 Sr.瀧澤洋子 Sr.濱本都志子
当時の大分教区長平山高明司教様からの招きに応えて、修道院創設の為、私たち3人が津久見の地にSr.平井管区長より派遣されました。私たちが来る前に、小教区付属の星光幼稚園はすでに開園されており、一般の若い2人の先生が働いておられました。そこへ突然主任としてシスターが入り、その上に宣教経験の少ない有期誓願者2人を引き連れての創設だったので、さまざまな困難がありました。修道院は狭いらせん階段を上りきったところにあり、そこは園舎の2階の一角でした。周りはみかん畑で、春になるとみかんの花の香りが辺り一面に漂う、自然に恵まれた所でしたが、来た当初は、慣れない私たち3人にとって、夜は特に淋しく感じました。しかし、すぐ隣りにあった津久見高校の野球部の練習の声が聞こえてきて、励まされる思いがしたものです。
園庭の隅にあった教会は、日曜日のミサにも信徒5、6人と私たち3人といった、小さな小さな信仰共同体でしたが、小さいだけに和やかで家庭的な雰囲気でした。戦国時代のキリシタン大名 大友宗麟の墓も近くにあり、宗麟祭の準備のため軽トラックで椅子運びをしたことなど懐かしく思い出されます。
私たちは神父様が園長をしておられる教会の幼稚園で働くことになっていました。当初は園児の数も多くなく、教材購入のために資金が必要だったので、資金集めのためにバザーをしました。クリスマスには園児の保護者を招いてクリスマスパーティーを開きました。当時はまだCDやカラオケなど何もありませんでしたが、Sr.瀧澤のピアノの生伴奏でクリスマスソングを一緒に歌ったり踊ったり、楽しい集いで、喜ばれて毎年参加者が増えていきました。そのうち園児の数も増えて園舎を増築するほどでした。
使徒職といっても3人でしたから、当初は幼稚園のクラスにSr.筑摩とSr.瀧澤が、給食準備のためSr.濱本が手伝いに入りました。幼稚園では園児や保護者と、日曜日には教会で信徒の方々と関わりを深めるなど、3人が同じ使徒職の場で協力し合いながら、貴重な宣教体験の日々を過ごすことができました。