*創設時の姉妹たち:Sr.筑摩輝子 Sr.村上ふみ Sr.吉田信子 Sr.白濵トシ子
私は、Sr.フランソワ・レミからまず下見に行くように言われ、人吉から厳寒の釧路に行きました。東京から北に行ったことがなかったので、本当に寒かったです!人吉幼稚園の保護者からは「シスター、今度は網走に行かれるんですって?」と勘違いされたりしましたが、私自身、北海道の地理もよくわかっていませんでした。
釧路の幼稚園は、以前(聖母訪問会)のシスター方が奉仕されて、教会にとっても地域にとっても良い存在だったようです。シスター方が引き上げられてから数年は、ずっとフランシスコ会のベニス管区の神父様方が園長をされていたので、同じフランシスカンの私たちに来てほしいと願われました。創設を決められたのはSr.フランソワ・レミ管区長でしたが、実際に共同体が始まった頃は、Sr.高木が管区長となり、色々と準備してくださいました。
ちょうど会計事務の方法が変わった時で、あれこれと慣れないことが多く大変でした。幼稚園の方は、Sr.筑摩、Sr.吉田が勤務し、Sr.白濱は家事、Sr.村上は台所の他に近所の訪問などをしていました。Sr.村上は北海道の出身で、お姉様が近くに住んでおられたこともあり、土地のことをよくわかっていたので、色々と教えていただきました。
真冬は-26℃まで下がることもあり、水はすぐに凍ってしまい、朝食のためのバターは凍らないように冷蔵庫に入れておくような生活でした。釧路は積雪量はそれほど多くないところですが、明治以来と言われた大雪が降った年がありました。園庭の片隅に保護者に頼んで雪山を作ってもらい、子どもたちは大喜びで遊んだものの、春先になって雪が溶け出したら園庭が大変な事になったこともありました。冬の間、疫痢が流行したため、市役所が何度も教室に消毒液を撒いて行かれ、その臭いも強烈でした!
園児は多くて200人近くいましたし、春先の募集時はまだ寒い中、保護者の行列ができていました。市内には黒金と緑ヶ丘にもカトリック幼稚園があり、ヴィアンネ会のシスター方が働いておられたので、お互いによく行き来もありました。(聖母訪問会)のシスター方の働きのおかげもあり、地域の人々からは「カトリックさん」と呼ばれて、親しみを持っていただいていました。近所には卒園生もたくさんいたので、教会で何かできないかと考え、当時、新川教会の主任をされていたカリシモ神父様に相談して、カリシモ神父様による英語教室と、シスターたちによる簡単な子どもたちへの公教要理をしようと募集したところ、思いがけず大人気となり、参加費で教会の会計をだいぶ助けることができました。またしばらくしてからは、シスターの異動もあって、新川の他に近隣の教会にも、オルガン奉仕のために定期的にまわるようになりました。
シスターたちが30人近くいた人吉から、たった4人の共同体生活となり、当時は札幌や北広島のシスターたちと会うこともほとんどありませんでした。初めて体験する長く厳しい冬の二重窓の生活に、戸惑うことや難しいこともたくさんありましたが、共同体で生きる姿勢や、一人ひとりが与える影響の大きさ、姉妹同士の関わりの在り方など…創立者が書き残された教えを、生活の中で実際に身をもって体験した日々でした。