マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

古仁屋修道院(1972年4月1日創設)

*創設時の姉妹たち:Sr.俵 あや子   Sr.宮沢けさみ Sr.吉居スナエ Sr.上田 米子            Sr.太田 和子   Sr.塚田ミサイ

コンベンツァル聖フランシスコ修道会(以下、コンベンツァル会)が特別老人ホーム経営を本会に依頼され、当時の管区長フランソワ・レミが承諾したことから、6人の姉妹たちが古仁屋に派遣されました。先にSr.俵、Sr.宮沢、Sr.塚田の3人が弥栄丸に乗って名瀬へ向かいましたが、あまりにも船の揺れがひどく、この船では二度と帰省などできないと思うほどでした。また当時は、奄美大島の中心地名瀬から古仁屋までトンネルは開通しておらず、曲がりくねった道は200か所以上と言われ、長時間の道のりはとても厳しかったです。

施設の1階が老人ホーム、2階が修道院の予定でしたが、到着時点ではまだ未完成だったので、3人は名瀬のコンベンツァル会の離れに1ヶ月ほど滞在させてもらいました。当時のアメリカ人のコンベンツァル会の管区長は名瀬におられ、3人を古仁屋までジープで度々連れて行ってくださり、開園の準備に忙しく働きました。ホームには雑巾一枚もなく、おむつやシーツ、枕カバーなどもすべて手作りしなければなりませんでした。最初に作ったおむつは吸収が悪いことがわかり、試行錯誤しながら、入所者の方のためによい物をと少しずつ工夫していきました。

建物が完成すると55人の定員はすぐに埋まり、地元の方にどれほど求められていたかがわかりました。入所者はハブにかまれて足や手を切断した方や一人暮らしの方も多かったですが、中には自由な生活を好み、ホームに慣れず退所していく人たちもいました。職員のためには運転免許の取得や大学の通信課程で資格を取ることをサポートし、特にそれまで島の機織りのみで生計を立てていた人達は、Sr.上田にヘルパーとして養成され、安定した収入を得て、子どもたちを進学させることができたお母さんたちもいました。またホームに関係する薬屋や食料品店が繁盛するようになり、地域の経済にも貢献していたと思います。古仁屋教会では職員二人が受洗するお恵みもいただきました。

施設が山の中にあったので、玄関までハブが入ってくることもありました。もとは田んぼだったところに建てられたため地盤が弱く、そのうえ裏には崖があったので、のちに崖崩れが起き、他の場所へと移転することになりました。当時は8時間から9時間勤務で夜勤もしていて、くたくたでしたが、島の人たちと共に働きながら、介護をするのはとても楽しかったです。