マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

鹿児島修道院(1972年3月28日創設)             

*創立時の姉妹たち:Sr.細井和子 Sr.清瀬ミズエ Sr.羽鳥惠子

鹿児島教区カテドラルのザビエル教会の七田和三郎神父様から、小教区の幼稚園にモンテッソーリを導入したいという要望があり、Sr.細井、Sr.清瀬、Sr.羽鳥が派遣されました。当時は、汽車で東京から鹿児島までの長い旅でした。

私は幼稚園の主任ということで、当時は有期誓願者だったSr.羽鳥と一緒に幼稚園で勤めることになりました。修道院は神父様のガレージ兼幼稚園の遊具の物置として使われていた建物の2階にあり、窓からは桜島が見えていました。食堂と寝室は2部屋で聖堂がなかったので、大聖堂で聖体礼拝や教会の祈りをして、Sr.羽鳥は物置を居室に使用していました。鹿児島の出水出身のSr.清瀬は、幼稚園勤務の二人のために、共同体内のことをすべて賄ってくださり、特にこれまで料理をしたことがなかったにもかかわらず、料理を担当してくださいました。何もかも初めてのことで、その時の管区長Sr.フランソワ・レミが、共同体生活が軌道に乗るまで共に生活し、食事作りなどを手伝ってくださいました。

七田神父様は修道院開設のその年に、吉野教会へ異動となり、主任神父として田辺徹神父さまが来られ、園長を兼任されていました。幼稚園をモンテッソーリに切り替えることと、共同体づくりの同時進行は大変でしたが、田辺神父様がよく息抜きの観光案内をしてくださり、みな若かったので声がかかると、喜んで出かけて行きました。また勤務が終わり、共同体の夜10時頃、やっと一息つこうとするシスターたちに、神父さまは「ちょっと来んね」と言って、今後の幼稚園の構想、特に改築について話されました。夢中で過ごした創立当初でした。モンテッソーリに切り替えた幼稚園では、初めて重度のハンディキャップの子どもを受け入れ、その子は今でも連絡をくれます。幼稚園で手一杯でしたが、教会学校の手伝いなどできることをしていました。1カ月後にSr.渡邊織江が神戸から異動して来てからは、より一層教会活動に協力できるようになりました。その2年後にはザビエル聖堂が新築され、旧聖堂は幼稚園になりました。