冬の準備のため庭木の剪定がされた。隣家の敷地へと葉を伸ばし迷惑をかけることのないように、今年はかなり思い切って刈り込まれた。隣家との境にあって、目隠しの役にたたないが、光も遮らず、気持ちよく風が通るようになったようだ。
そのとき、緑も他の花も見当たらない庭に、つややかな小さな赤い実の房がいくつも見えた。そうか、ここにセンリョウが植えてあったのか。剪定をするまで植えてあることさえ忘れていたのに、黙っておのれの葉を伸ばし、細やかな赤い実をつけていたのか。心地の良い小さな驚き。その一瞬を、シャッターを押すように残したいと思った。
歌人、永田和宏さんは、「歌をつくることは自分の『時間』を残すこと」と言われる。今を覚えておくために31音を選んだ。
背の高い 木の陰に置かれても センリョウの実は 音なく燈(とも)る
病院という事業の中でも修道院の生活の場でも、いつも変わりなく、黙って与えられた仕事を丁寧にしているシスターの姿が浮かんだ。働きは目立たない。声高に宣伝されることもない。その姿が低木にたわわについた赤い実と重なる。
(Sr.M.O)