マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

鶴岡修道院(1971年3月25日創設)

*創設時の姉妹たち:Sr.国枝洋子 Sr.濱﨑セリ Sr.小林光代 Sr.中沢てるみ

当時は第2バチカン公会議後の「フラテルニテを!」という動きの中で、管区長Sr.フランソワ・レミが鶴岡教会の主任神父様(イエズスマリアの御心会)と信徒たちから、幼稚園の主任をしてほしいと招聘されたことに応えて、鶴岡修道院が創立されました。Sr.濱﨑セリが主任として入ったものの、すぐに体調を壊して一度は静養のため帰らざるを得ませんでした。数か月後に戻って来られた後は、幼稚園ではなく共同体の食事作りや、信徒の訪問などを一緒にしてくださいました。幼稚園の方はSr.石黒トキに交代。その後まもなくして体調を壊され、またSr.川口訓子に交代といった具合で、幼稚園との関わりは前途多難な始まりでした。私は小教区で、カテケジスや初聖体の準備から教会の事務まで、信徒の方々と一緒に忙しく働かせていただきました。

鶴岡教会は御家老住宅跡の敷地に建てられていて、入口の門のところには昔、伝道師さんが住んでいた家があり、それを改築して修道院にしてくださいました。主日のミサの後はお部屋を開放して、青年会の集まりやSr.濱﨑の生け花グループなどが行われ、信徒の方々と知り合い、関わりを深めていくことが出来ました。一方、Sr.小林とSr.中沢は庄内病院にベール着用のまま看護師として就職することが出来、三交代勤務で働かれました。

少しずつ幼稚園の先生たちとも良い協力体制が築けるようになってきたころ、三年目にSr.フランソワ・レミが異動になり、管区長がSr.高木に代わりました。病院で働く看護師のシスターが足りないという状況から共同体閉鎖の話が突然持ち上がり、看護師の二人は異動、私はSr.平と交代で天使病院の事務長として異動。代わりにSr.浅沼が約半年間くらい、わけがわからない状況で、Sr.川口と一緒に小教区と幼稚園への説明に奔走されました。信徒たちは私たちを迎えるために建物の改築資金を協力してくださっていたので、突然の閉鎖を受けて管区宛てに嘆願書も出されたようでした。最後の約半年間はSr.川口が一人で頑張ってくださいました。

三年かけて信徒や幼稚園の先生たちと本当に良い関わりができ、これからという時に閉鎖となり、とても残念でしたが、振り返れば楽しい思い出がたくさんあります。教会の近くの河原での芋煮会や墓地の清掃など、信徒の方々と一緒に行ったたくさんの行事や、神父様と一緒に山の中に住んでいるお年寄りたち(迫害から逃れたキリシタンの子孫の方々)にご聖体をお届けしたことなどなど。当時よく顔を出してくれた郵便配達の男の子が、私たちが去った後で洗礼を受け、後には信徒会長も務めたというような嬉しい話を聞くと、人間的には計画通りでなかったとしても、神様は小さな種を置き去りにすることなく、水をやり、お世話をしてくださり、時が来ればいつも善い実りをもたらしてくださるのだと、感謝の気持ちでいっぱいです。