マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

有期誓願者のわかちあい~新しい歌を主に歌え~

お正月といえばカルタですが、群馬県には〈上毛かるた〉というカルタがあり、お正月だけではなく年間を通して楽しまれているそうです。どんなカルタなのか気になっていましたら、『「上毛かるた」で見つける群馬のすがた』(2010年3月群馬県発行)という冊子本をある方がくださいました。中には、〈い〉から〈す〉までの言葉と絵柄が紹介されています。群馬県の各地の特徴などを、カルタを通して学ぶことができます。土地を愛し、歴史を大事にしてきた群馬県の人々の心が伝わってくるようなカルタだと感じます。

いただいた冊子本表紙にあしらわれたカルタの絵柄

冊子本表紙にあしらわれたカルタの絵柄

さて、群馬に移って初めての冬を迎えましたが「おや、富士山?」と思う山が見えることに気が付きました。富士山のはずはなく、それは浅間山でした。雪をかぶるとまるで富士山のように見え、何だか懐かしくなって急に愛着を感じ始めました。私が生まれ育った湘南地域には、富士山が見えるスポットが数多くありました。自分が馴染んできたものに似たものを目にするとき、それを自然と受け入れる気持ちになります。しかし、まったく新しいものを受け取る時に、時にはその新しさに戸惑ってしまうことがあります。初めてキリスト教が日本に伝えられた時もそうだったでしょうし、またその後の宣教活動の中で常に意識されてきた問題でもあると思います。

共同体に『新しい「ミサの式次第と第一~第四奉献文」の変更箇所-2022年11月27日(待降節第1主日)からの実施に向けて』が届き、来年の待降節からミサの式文に変更が加わることを知りました。これまで馴染んできたものが変わると知ると、色々な思いが湧いてくるのを感じます。しかし、このような変更も典礼が日本に馴染んでいくために必要な事柄で、インカルチュレーションは時代と共に変化して決してこれで完了ということもないのだと思いました。

『Living Our Name File1』第4章 私たちの生活に受肉したメッセージの3つの領域 では、3つの領域として、聖体の礼拝、世界宣教、そしてディスポニビリテ(無条件に自分を差し出す)が挙げられています。この3つが深く結びついたカリスマとして捉えられていることを教わっています。創立者の書き物からも、礼拝者であることと宣教者であること、そしていけにえであることには意味合いの重なりがあると学びました。私たちは世界宣教に招かれています。世界宣教はUniversal Mission、普遍や宇宙と読み替えたら、地球宣教という言い方もできるのでしょうか。いつも地球全体が家であり、人類全体が家族であると意識するように、そのような呼びかけは、教会全体が宣教者であることを思い起こさせます。私たちは皆、教会の一員です。ですが、FMMとなることで、キリスト者としての使命をよりユニークなカリスマの中で生きようとしているのでしょう。そう考えると、その時、その場に相応しいインカルチュレーションを模索することは、より一層コアの部分、地球の核の部分と福音を結びつけていく試みのように感じられます。

「宣教は観想から湧き出るのであって、その逆ではないのです。大切なのは宣教活動を通して
渡されるメッセージなのです。観想はそのメッセージに奉仕するものであり、福音から伝えられるのです。」
(同書p.83)

富士山!?いえ、浅間山です

この言葉が心に響きます。神は愛、あなたもわたしも愛されている…そのメッセージを伝えるためには、もしかしたら何もしないで黙っているだけでいいのかも知れません。時には相手のためを思って敢えて正直に、厳しく接することだってあるのかも知れません。インカルチュレーションは国の文化だけではなく、個人の文化にも当てはまるのだと思いました。私たち一人一人が手渡そうとするメッセージ、それを相手に伝えるためにはその時点でのその人に一番しっくりくるやり方で伝えるしかありません。今日の伝え方が明日も通用するとは限りません。そして、それは私たち自身にも言えることで、私たちの心もまた、日々耕されてメッセージを受け取り直していくのでしょう。聖体の観想からのメッセージ、そして姉妹や他の人々からのメッセージ、私たちは伝え手であると同時に受け手でもあるのだと感じています。

〈上毛かるた〉は、群馬県の郷土愛に満ちたカルタです。神の国への愛に満ちた日々のみことばもまた、それぞれの美しい彩りを持って毎日の生活に受肉していきます。それぞれの生活に受肉したみことばの彩りは、神の国への愛、あるいは神の国に溢れる愛からほとばしり出る輝きだと思うと、そこには必ずメッセージがあるのだということに納得がいきます。どのような愛の中にも必ずメッセージがある、そのメッセージの核心に隠されているみことばを見出すこと…そのセンスを磨いていくことが、FMMとしての生活を豊かにする秘訣なのではないかと感じます。沈黙の中にひそむ、みことばの息遣いに耳を開き、そこからほとばしり出る見えない輝きに目を開かれる時、私の中に新しい思いがこみ上げてきます。来年の待降節から新しく加わる変更によって、典礼や音楽にも変化が訪れるでしょう。その変化への戸惑いを乗り越えて、本当に神の国の完成に向かって喜びの声を上げて、新しい歌を主に歌えるように、私の心もまっさらに新しくしていただけるように、主に願い求めています。

(有期誓願者 M.O)