病院の待合室でのことです。70代くらいの女性に声をかけられました。「ちょっとお話ししていいですか」と。もちろん「はい」と答えると、その女性は、とてもうれしい様子で、「懐かしくて、声をかけました。」と話し始められました。耳が大分遠いらしく、大きな声で話しているので、待合にいる大勢の人に話しは筒抜けでした。
短大を卒業したあと、ある修道会の学生寮の調理の仕事をしたそうですが、その時に出会ったシスターたち、特にシスターKのやさしさが彼女のそれからの人生の支えになったというお話しでした。そこでの2年間が彼女にとって「人生で一番自分が大切にしてもらった時」だったそうです。うれしそうに、「本当にシスターは、やさしくて楽しくて、たいへんなことは自分でして、働いている者たちには、なるべく楽な仕事をするようにしてくれたの。だからこっちもなるべくシスターにたいへんな思いをさせないように、一生懸命働いたけれども、働くのがうれしくてねえ・・」と生き生きと話す姿に、彼女の若いころの姿が目に浮かぶようでした。
その後結婚を機に退職し、御主人を早く亡くし、子どもを一人で育てて、いろいろ苦労したけれども、苦しくなるとシスターが「苦しいときには、十字架のイエズス様と十字架の下に立つマリア様を思ったらいいのよ」とおっしゃっていたこと、また外国から来てたいへんだろうにいつも楽しそうに働いていらしたシスターの姿を思い出して、がんばってきたそうです。彼女は、キリスト教の勉強もしなかったそうですが、「イエズス様とマリア様、そしてシスターKが私のことを本当に大切にしてくださっていることがわかっていたから、本当に幸せだったのよ。」と夢見るようなまなざしで繰り返しておられました。その後「シスターという人」を町で見かけても、話しかける勇気がなくて、話したことがなかったけれども、隣に座っているので、話しかけたということでした。
そのお話しを聞いて、その女性の中に、しっかりと生き続けておられるシスターと十字架上のイエスが、今、私に回心を呼び掛けておられるように感じました。2年間の間に体験したシスターの愛とイエスの愛が、彼女のそれからの50年以上を支えたのです。「お前の生き方はどうなっているのか。お前なりに、使徒職を一生懸命果たしてきたことはわかるが、周りの人々を本当に愛してきたのか。人々の中に、わたしの愛を感じさせるような生き方をしてきたのか。」とイエスから問いかけられたような気がしました。
順番が来て、その女性は、診察室に入って行かれましたが、大声で話す彼女の話しが聞こえていた待合室の人々の間には、何とも言えない暖かい雰囲気が漂っていました。
(Sr. N.H.)