マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

香港・マカオ「わたしの魂よ、主をたたえよ!」

2000年10月15日に香港に到着したとき、私には全く香港に関する予備知識がありませんでした。管区長から派遣を言い渡された時、私は宣教地で何が待っているか全く知らずに、信仰のうちにすぐに受け入れました。しかし、こちらに来て最初は戸惑うことばかりでした。共同体のシスターたちはいつも忙しく働いていて、姉妹同士の会話もないように思われ、特に広東語のできない私にとってはいつも一人でいるようで、とても寂しく思われました。

また、色々な習慣の違いにも戸惑いました。例えば、他の共同体を訪問する時には前もって電話をし、食事をするかどうかを伝えなければなりません。インドでは誰が来てもいつでも喜んで食事に誘って、前もって電話で連絡などする必要がなかったし、ましてやFMMの共同体なら家族なのだから、いつ行っても歓迎されると思っていました。これは習慣の違いなのですが、何だか自分が歓迎されていないように感じられました。

またインドでは全員で揃って聖体礼拝をしていましたので、毎日の礼拝に参加しないシスターたちがいることに驚くと同時に、そのシスターたちのことを少し批判的な目で見ていました。後になって、彼女たちは忙しい使徒職のために、私がまだ寝ている間に朝早く起きて礼拝をしていることがわかりました。

言葉の勉強が終わって、私は学校の司牧センターで働くようになりました。インドでも学校で働いていましたので、喜んでこの使徒職に取り組みました。インドでしていたように、経済的に貧しく支援が必要な生徒を探してお世話しようとしましたが、司牧センターのスタッフからは、その必要はないと告げられ驚きました。自分が思っていた奉仕の仕方と、ここでの奉仕のあり方の違いに戸惑うばかりでした。共同体でも皆が忙しく思われ、どんどん自分の中に閉じこもっていってしまいました。

このような状況の中でフラストレーションが溜まり、3年目にはここでの宣教をあきらめようというところまできてしまいました。その当時、自分の中にも、また周りにも神様の現存を全く感じられませんでした。何もかもが悪く思われ、誰に対しても、何に対しても不満ばかりでした。宣教者としての生活にも全く興味を失ってしまっていました。ある日勇気を出して、管区長に「香港での宣教をあきらめようと思っている」とそれまでの心の闘いを伝えました。すると、驚いたことにそれからの識別の中で、神は明るい光で私を照らし、惜しみない愛を示してくださいました。

その識別のプロセスを私は忘れることはないでしょう。FMMとして宣教者のアイデンティティーをしっかり確認した後、私はすべてのことを今までとは違って肯定的に見るようになりました。そして神に「もしこのミッションを続けることをあなたがお望みになるのなら、私はこれから何が起ころうとも、その道を喜んで歩みます」と約束しました。その時の心の安らぎを、今でも昨日のことのように覚えています。そして、その体験から力をいただき、神が共にいてくださることを感じながら日々を歩んでいます。神は私に希望を与えてくださり、悲しみを喜びに変えてくださいました。また、私に時のしるしを読み取り、姉妹の中に神がおられることをわからせてくださいました。神を見、聴き、触れ、味わい、感じられるように、私を変えてくださいました。学校の司牧センターのミッションで私は五感を通して神の愛を体験し、人々にわかちあっています。

ミッションでの20年は夢のように流れ去りました。管区の姉妹たち、ここで出会った友人たち、生徒たち、また共に働く先生たちを通して、神が無条件の愛で私をこんなに豊かに祝福してくださるとは、想像もできませんでした。私を呼び、忠実にその約束を果たしてくださったやさしい神への感謝で、私の心は一杯です。生徒たち、特に情緒的にも霊的にも配慮が必要な生徒たちに関わる中で、ミッションへの愛が私の中で成長し、生徒たちの中にも愛の種がまかれていることが感じられます。私のミッションへの小さな努力が実を結び始めています。今では、私は香港の文化、習慣、言葉が好きになりました。そして、何よりも日常生活の中で福音を伝える喜びを感じています。

私は、香港・マカオ管区の一員であることを誇りに思い、私のミッションを愛しています。創立者が「全世界が私の故郷です」とおっしゃっているように、私は本当にここを自分の故郷だと思っています。そうです!香港が、私の故郷であり、私は香港の人なのです。そして、この20年を振り返って詩編作者と共に「私の魂よ、主をたたえよ」と歌っています。

 

Lilly Duggimpudi, fm.m.