マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

FMM日本管区の歩み-51

国際聖母病院開院への動き

もう一つの動きはフランス大使館の協力を求めたことです。聖母病院の建築も近づいた頃、シャンボン大司教は駐日フランス大使を通してフランス政府に援助を願い出ました。その依頼書には以下のことが書かれていました。

1「国際聖母病院」は「日本東京大司教区天主公教宣教師社団」のもとに、シャンボン大司教名義で登録され、法的には「東京カトリック・ミッション」に所属している。

  • 当病院は「マリアの宣教者フランシスコ修道会」に委託され、「カトリック国際病院」として認可されることになっている。1877年にナント出身のブルトン人 マリ・ド・ラ・パシオンによってサン・ブリュ-に創立されたこの修道会は、近代社会の欠乏がもたらす身体的精神的苦しみにある人々に奉仕する会で、社会事業の本部はパリにある。
  • 当病院は50床から始め、徐々に鉄筋コンクリート作りの本館に新病棟を付け加えて行く予定である。
  • 当病院では、国籍、宗教、貧富の差別なく全ての人が診察を受け、入院出来るように病室にクラスを設けている。診察と入院には無料と有料があり、警察、市役所、カトリック教会から無料券を貰っていれば、無料で診療を受けることが出来る。敷地内の別の家屋にある無料の老人ホーム「恵老院」は病院が負担する。
  • 当病院の中心的役割を持つ医者(戸塚文卿師)はフランス語を話し、フランスで勉強した医師で、フランス方式を取り入れたいと望んでいる。
  • フランスに注文した機械、器具、薬品等を関税を払わずにすむように、大使館を通して受け取れるかどうか。この病院の発展のために、フランス政府に援助をお願い出来るかどうか。

最後に、大司教は直接フランス大使にM.クリゾストムに会って話を聞いてほしいと願ってこの手紙を結んでいます。大使は喜んでこれに応じ、早速管区長が作成した正式な申請書をフランス政府に送り、同時に日本政府にも申請書を提出しました。その結果、病院の落成祝別式3日前にフランスから12個の荷物が免税で届けられたのです。三者間で交わされた半年に及ぶ通信と手続きが効を奏して、期待通りの「華麗なフランス式病院」が整えられていきました。建物はスイス式、医療器具はフランス式、戸塚師が奔走して集めた医師団は日本人、そして 病人の友となる本会の姉妹たちの国籍は11か国と、名実共に国際病院に相応しい「聖母病院」の船出となりました。