マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

コンゴ―ルブンバシ「コロナ禍での私たちのミッション」

新型コロナ感染症が2019年末から世界中に広がり、あらゆる面で人々の生活を脅かしています。私たちの地域でも、新型コロナ感染症によって社会は大きく変化してきました。その中での私たちFMMのミッションを紹介いたします。

新型コロナウイルス感染症のニュースが報道され始めたころは、一部の国のことだと皆が思っていました。しかし、皆の予想に反して急速に世界中に広がり、医療体制の整っていないアフリカ諸国、特に私たちのコンゴ民主共和国では人々の心配が募ってきました。それに対応して、政府はすぐに対策を講じました。国境の閉鎖、商店の営業停止、学校の一斉休校など人々の生活に直接かかわる規制が敷かれました。

その時、私たちのミッションは?
ルイシャにある私たちの主なミッションは学校教育です。小学校から高校まで、寄宿生と通学生を含め、およそ1200人の生徒が在籍しています。新型コロナウイルス感染症のニュースが入った時、私たちはすぐに、先生や職員たちと一緒に、ポスターや絵を使って新型コロナウイルス感染症について説明し、この地方に感染が広がってきたときの予防対策を生徒たちに徹底させるよう努力しました。3月19日までは、学校はいつも通りに授業をしていました。しかし、その日、大統領が学校や教会の閉鎖を宣言し、私たちはすぐに生徒たちを家に帰しました。

生徒たちの顔には悲しみが広がっていきました。特に、寄宿生の上級生たちは、将来についてとても心配し、すぐに学校に戻って来たいと言っていました。普段は1200人の生徒でにぎやかなキャンパスは、教職員も去りひっそりとしています。いつもは走り回る元気な子どもの姿でいっぱいの校庭も、ただ風が吹き抜けるばかりです。しかし鳥は、いつものようにさえずっていました。新型コロナウイルスは私たちの「想定外」の状況を引き起こしていました。

回りの人々の苦しみ
私たちの町は鉱山の町です。労働者の多くは、中国人の経営する鉱山会社で働いて生計を立てていますが、その大部分は日雇い労働者です。町には、鉱夫とその家族のための小さな商店があるくらいで、他に特に産業はありません。新型コロナウイルスによる感染症が広まるにつれて、鉱山の仕事も少なくなり、雇い止めの数も増えてきました。失業者が増え、町の商店で買い物をする姿もあまり見られなくなりました。商店主は、買い物客が減って困り、買い物客の方は価格が高騰しているのに困っていました。それでも仕事が続いていて、買い物に行ける人はまだ良い方で、失業者があふれてしまいました。もともと鉱山は斜陽産業で、ルイシャでは失業者が増えているのが問題だったのですが、コロナ禍によってそれに拍車がかかり、健康上の危機は社会・経済の危機をもたらしてしまいました。

私たちFMMは?
学校や教会が閉鎖され、周りには日常の食物にも困る人が増えている中で、私たちはもちろん、手をこまねいて人々の苦しみをただ見ていたわけではありません。もっとも私たちの状況も人々と同じようで、日用品を手に入れるのにも苦労しています。しかし、ほんのわずかなことしかできませんが、私たちの食べ物や日用品をより必要な人々と分かち合っています。

このようなコロナ禍にあって、私たちの一番の役割は「祈る」ことです。教会が閉鎖され、公開ミサができなくなっても、キリスト者たちが祈りをやめたわけではありません。特に私たちFMMにとってはなおさらのことです。私たちは宣教者ですが、パンデミックの状況の中で、私たちの宣教者としての働き方が変わりました。ロックダウンによって一日中修道院に留まらざるを得なくなった私たちは「礼拝者」としてのカリスマをより熱心に生きるようになりました。創立者が繰り返し娘たちに勧めたように、私たちもご聖体のイエスの足元で祈る新たな「エステル」になりました。コロナ禍の中でも幸いに毎日ミサがありますので、ミサの直後から昼までご聖体を顕示し、順番に礼拝し、パンデミック収束のために神の憐れみを願い求めています。「神にできないことは何一つない」(ルカ1:37)ことを信じて…。「キリストのいけにえである感謝の祭儀への参加は聖体の礼拝によって続けられ、私たちの存在全体は、賛美、奉献、とりなしとなります」(会憲9)という会憲の言葉を、今改めて意識する機会を与えられています。学校使徒職の中で、どちらかと言えば活動に流れていた私たちの宣教者としての在り方を、このコロナ禍によって本来の姿に立ち返らせていただいたように思っています。

また、大司教様の勧めにより、教区中で午後8時にロザリオの祈りが捧げられています。周りの人々と共に集うことはできませんが、家の壁を越えて、パンデミック収束のために皆で心を合わせて祈ることで、人々との連帯を生きています。今は具体的には何もできませんが、祈りを通して宣教者として生きられることを感謝しています。「祈りには、それ自体、福音化する働きがあり、宣教熱を燃え立たせ強めてくれます」(会憲12)とありますが、教区中の人々の切なる祈りによってコロナ禍が収束し、人々が幸せに暮らせる日が一日も早く来ることを願っています。

まだ新型コロナウイルス感染症によるパンデミックは収束せず、先が見えない状態ですが、私たちは神に信頼し、祈りと連帯による私たちのミッションを忠実に続けていきたいと願っています。

Véronique Ilunga, f.m.m.