マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

五感に結びついた記憶

朝6時。首をすくめるほどの冷たさはないが、ほんわかと緩んだ寝起きの顔をパリッと引き締めてくれる外気の中にいた。

病院敷地内の大聖堂で行われる朝ミサ(祈り)に向かう。一人通れる程度の狭い裏口から敷地に入り、駐車場横につくられた小道をたどっていく。道の左側奥には五階建ての病院本館がある。今日は、細長い建物の一階、救急外来のドアが大きく開いていた。ベッド周りのカーテンは部屋の奥に寄せられ、空のストレッチャーが見えた。救急車が来ればその戸の前で停まり、救急隊員たちと待ち受けていた病院職員によって、患者さんが運び込まれるドアである。

昨夜はどれほどの救急患者さんがいらしたのか。救急室にはいつも緊張と重苦しい空気がたまっているように感じるのは、ぐったり目をつぶった患者さんや、顔をこわばらせて付き添う家族に、繰り返し出会ってきたからだろう。今朝はその部屋も、冷たい空気を大きく呼吸しホッとしているかのようだった。

朝6時はまだうっすらと暗い。夕方5時には暗くなる。湿度は20%台まで下がり、風邪がはやりやすくなる。加湿器を準備し、衣服や寝具は冬用に入れ替える。暗く、寒くなってくるこの時期、なぜかこころが弾んでくる。

思い出してみれば、小学生の時、新潟に引っ越した。学校はバスで二つ先にあった。バス停に行くため大通りを横切るよりは、家から道をまっすぐ、学校の裏門まで歩くほうが安全、と母は考えたらしい。うちは校区のはずれだったから、1年生の足には少し遠かったのではないか、と思う。

粉雪が舞う朝には、母手編みのピンク色のショールで頭から巻かれ、その上から着せられたジャンバーの前をしっかり閉められた。門を出て、進行方向に顔を上げると、目に雪がぶつかってくるので、頭のてっぺんを雪に向けて歩き出す。滑って転んでも、学校に着くまでは一人だ。どこに足を置けば滑りにくいか、6歳でも学んだ。冒険に挑んでいるかのようにこころが奮い立った。

毎日起こる多くのことはすぐ忘れてしまうのに、五感と結びついた出来事が、ふとしたきっかけで思い出されるのは不思議だ。

脳のどこか、倉庫にしまわれた記憶が、今の私を励ましてくれているようだ。(Sr.M.O)