マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本管区

大勢で一緒に暮らすこと

皆さん、こんにちは。イタリアからの寄稿です。

どなたも コロナによる長くて辛い冬を過ごされたことと思います。

イタリアは亡くなった方が日本の15倍くらい。人口が日本のほぼ半数なので、感染者数にも死亡率の高さにも驚かされます。キスや抱擁の挨拶の習慣のある国ですから、なかなかそのライフスタイルを変えられなかった結果かもしれません。身内や友人を亡くされた方の心の傷は深く、また感染し回復した後の後遺症に苦しまれる方も…

イタリアは日本より外出の規制が厳しいので、経済的な苦難はもちろんですがずっと家にいることによる心身のストレスも大きな問題です。特にシングルライフを送る方の心の負担の大きさは顕著です。起こる事柄をすべてあるがままに受け止め、心に留め、祈り、振り返り、そしてそこから主と共に、主に頼り、前に進む希望をいつも心に持つ…と、これがキリスト者の信条ですが、いざ修道院でクラスターが起きたりすると、心の切り替えが難しいのはみな同じだと思います。

私の住む共同体(修道院)は今のところ無事に過ごしています。

共同体の姉妹たち

ところで、このコロナをきっかけに、共同体で大勢で暮らすことの強みをしみじみと感じています。普段は、気が合わないと思うメンバーだって、こういう時はいてくれるだけで有難いというか…本会(マリアの宣教者フランシスコ修道会)は創立時からずっと、多数の国籍が混ざった会ですので、私の住む共同体もクリスマス前までは8人・7か国籍で構成された共同体でした。そこに二人の体験入会者が加わり10人で暮らしていました。

祈ることが好きで神様をより近くに感じることを望んで集まっている人々ですから、生活の中心は祈りです。私達の宣教事業である巡礼者向けの宿泊施設がコロナによって開店休業中であっても、それは変わりません。今や、祈りは生活にリズムを与えています。そして、どんな状況下でも、宗教行事というものは粛々と準備され行われていくのです。冬季は、無原罪の聖母マリアの祭日、キリスト降誕(クリスマス)、キリスト公現など、光いっぱいな雰囲気の広がる行事が続いたものですから、心は自然と明るい方向へ。

「ベッファーナ」の習わしまた、イタリアでは、1月6日は箒にまたがって空を飛ぶ「ベッファーナ」と呼ばれるおばあさんが子どもたちにお菓子を置いていくという習わしがあり、いたずら好きな共同体の責任者が、深夜、食堂にベッファーナを作り、お菓子を並べていってくれたものですから、翌日の朝食時はみんな童心に帰って、袋(靴下の形)の中身を広げ喜び合いました。中身?飴や小さいチョコレートなどの駄菓子です。そして袋は、別の機会のためにしっかり回収されました。

体験入会の二人も共に暮らすことが楽しそうで、そのうちの一人はこの数か月で7キロも太ったと笑っていました。拒食症かと思うほど痩せていたのですが、今は、顔も体全体も輝いています。この先、修道者を目指して歩みを続けるかどうかは彼女と神様、そして修道会の識別による事柄なのですが、まずはキリスト者として、よい歩みを続けられたらいいなぁと思いながら眺めています。神様はすべてのことを通して、最も適した時期に、子どもたち一人ひとりに良いように計らってくださる「親」であると、つくづく感じます。

個が大切にされ、プライベートが重視され、私も含めてそれを享受し続けてきた現代社会に生きる私たちですが、コロナはそのスタイルの脆い点を、私たちに知らせてくれたように思います。経済面からみても、例えば7人の人がいて、それぞれワンルームマンションに住んでそれぞれが一つの小さい冷蔵庫を持っているよりも、7人で一つの大きな家に住んで、大きな台所に大きな冷蔵庫が2つの方が経済的な気がします。要検証ですが。

大規模で広範囲な天災が起きると、好き嫌いの問題を抜きにした「他者」や「家族」、施設や寮などの「共同生活者」の存在の温もりや有難さに思いをはせる機会になることもあります。もちろん、個の自分だって大切。でも、両者のバランスを、今より少し上手に取り合えるライフスタイルになったらいいのになぁと思う方が、皆さんの中にもいらっしゃるのでは?災害に強い、または災害を回避できるような健全な未来の社会を目指して、共に歩んでいきましょう。

                               (Sr. A・ T)