1928年(昭和3年)には、東京教区のシャンボン大司教がフランシスコ会を東京へ招くために、フランシスコ会のボナベントゥラ総長との交渉役を函館時代からの友人モ-リス師に依頼してロ-マへ遣わしました。その翌年、本会の東京修道院創設の目的である国際聖母病院の建築計画が会長のM.サン・ミシェルによって認可された頃、ロ-マではフランシスコ会総長のもとでOFM東京修道院創設の手続きがモ-リス・ベルタン師によって着々と進められていました。「フランス語を話す兄弟の派遣を」という大司教の要請に応えて総長が指名したのはカナダの聖ヨゼフ管区でした。その管区日誌によると「総長から東京進出の話を受けた当時の管区長ジャン・ジョゼフ師が管区会議を招集しこの問題について検討した結果、満場一致で受諾することに決まり、この計画は管区長に一任された」とあります。
1929年 (昭和4年)12月、院長として日本へ派遣されたジョゼフ師は、カナダからロ-マ経由で長崎に到着し、長崎の早坂司教よりカナダ管区の長崎修道院創設認可を得た後、東京へ向かいました。既に鹿児島知牧区で宣教司牧に当っていたカナダ管区は、長崎に修練院と小神学校を、東京に哲学院と神学校を設立すると決定していたからです。東京に着くと、ジョゼフ師はフランシスコ会第三会の会員であるシャンボン大司教と戸塚師に迎えられて本会の修道院へ案内されました。
1930年(昭和5年)3月、戸塚師によって田園調布に準備されていた借家に住むようになったフランシスコ会の兄弟たちは、本会の姉妹たちと聖フランシスコの精神を分かち合い、それぞれ委ねられている使命の達成に向かって協力しつつ、 第三会員の強力な支持のもとに東京での司牧活動に備えていきました。ジョゼフ師は毎日のように土地探しに奔走し、資金集めの依頼をカナダの恩人に書き送っていました。日本語も日本の事業も分からないジョゼフ師のために、戸塚師と山本信次郎氏が修道院創設に必要な業務上のことを全て行い、生活面では姉妹たちがどんなにわずかな物でも「無一物・無一文」の兄弟たちと分け合いました。以下はカナダ管区出版の「宣教師たちの遺産」から引用した創立当初のフランシスコ会と本会の関係を示す箇所です。
1930年 (昭和5年)
3月25日:本日借家契約書にサイン捺印した。無一文よりの出発。この修道院に物資を贈られた恩人を記録して毎日祈ることにした。特に記録しなければならない恩人は、下落合のフランシスケン修道女会のメ-ル・クリゾストム管区長である。聖母病院建設準備中にもかかわらず、率先して私たちのフランシスコ会修道院建設に全面的に協力してくれた。テ-ブルと椅子、食器類、台所用品、生活必需品、祭壇用品など。
3月19日:午後7時、2人の韓国人が下落合のフランシスケン修道院のクリゾストム管区長よりの贈物(ご復活祭のお祝いの品)を持ってきてくれたが、その中身は私たちの一週間分にも相当する程の食料品で大変驚いた。神に感謝。
4月24日:下落合のメ-ル・クリゾストム管区長とメ-ル・コンソラトリスがチ-ズと花器4個と花を持参した。自分たちの持ってきた花器で祭壇に花を生け、聖櫃布と祭壇布の寸法を測り、その他の必需品をメモして帰られた。
4月27日:下落合のフランシスケン修道院へ行き、私たちの着衣式典礼文の訳を日本人シスタ-に依頼した。カナダ人のメ-ル・ベアタにも面会。メ-ル・クリゾストム管区長から聖堂に安置する聖母像が贈られた。これは町の仏具店で買い求めたという。一同、祝福を与えて別れた。
4月30日:午後8時半より、聖母病院の管区長メ-ル・クリゾストムからもらった聖母像を飾り、聖母賛歌で聖母月信心の前夜祭を祝った。
5月10日:聖体ランプが切れたので田園調布周辺を探し回ったが見当たらず、仕方なく下落合のフランシスケン修道院に頼みに行った。シスター方はランプのみならず、サンタクロ-スのような大きな風呂敷包みを持たせてくれた。中には2個の聖体ランプと沢山の品物が入っていた。親切に心から感謝。
5月24日:午後3時より、聖母病院建設工事着工、定礎式と祝別式に2人の兄弟が参列、祝別式の司式はシャンボン大司教。
1931年 (昭和6年)
2月16日:会議と資金集めのためにカナダに帰国後7か月ぶりに来日したジャン・ジヨゼフ院長は、カナダから東京と長崎の修道院創設のために働く神父6名、修道士3名、計9名の新しく派遣されてきた宣教師を伴って帰院された。5名は田園調布に、4名は長崎に任命され、横浜港で下船し、田園調布に寄り、聖母病院のカナダ人シスターが準備した昼食をとってから長崎行きを命じられ、再び横浜港に戻り船で長崎へ向けて出発した。
4月30日:カナダより新しい宣教師が来日し、田園調布の修道院が狭くなったので、落合の聖母病院の近くに大きな日本家屋を借りて引っ越した。
5月3日:今まで東京教区シャンボン大司教が担当していた下落合のマリアの宣教者フランシスコ修道女会の毎朝のミサ、毎夕の聖体賛美式、ゆるしの秘蹟、講話、説教など、全ての業務についてフランシスコ会が担当することに決定し、シャンボン大司教よりバトンタッチされた。