マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

神様の摂理に感謝

種子島で出会ったYさんのことをわかちあいます。彼は山で野菜や果物を作り、いろいろな機械の修理もでき、自動車学校の先生もなさった方でした。島で各病院の為に酸素を初めて入れることにも努めた人です。

私たち教会、保育園、修道院のための大恩人でした。種子島修道院の創立の時から、Yさんは色々な事をしてくださいました。釘一つ打つのにもYさんを呼びました。毎日「皆さんのために」「シスターたちのために」などと野菜や果物のことを楽しそうに話してくれました。

何よりも人との関係を大切していた方でした。若い時は貧しい生活しながらも、貧しい人々に関わっていました。年を重ねてからは、島で困っている家族をはじめ、最近では外国からの若い労働者の為にも「一緒にいるのは楽しい」「何かしてあげないとね!」「このお米を持って行ってあげてください」などと、いつも隣人に優しかったです。

毎日曜日、教会で皆に会えることを喜びとしていました。彼はたびたび分かち合ってくれました。「信者になって良かったですよ」「僕は20代、大学生の時に北海道で結核での入院をきっかけにシスターに出会い、『ミサに行きなさい、ミサに行きなさい…』と言われ、それが教会生活の始まりでした。そして北海道で洗礼を受けました。その後、名古屋で自動車学校の先生として働き、仲間に出会い、その一人と結婚して島に来ました」と話してくださいました。

Yさんは20歳から米寿を迎えるまでFMMに出会っていたことが分かりました。私は「神様の摂理」に感動しました。北海道で宣教者として病院で働くFMMと出会ったことに感謝を持ち続けて、最後の最後までFMMの一人一人に大切に関わってくださいました。

Yさんは2年前に倒れましたが元気になりました。その時のお医者さんは回復したことに「不思議だ」と何度も繰り返して、「この人には神様がついていますね!」と言われました。奥さんは「シスターたちが祈ってくださるから」と言いました。

彼はいつも「ありがとう!」「また、会いましょうネ」「ぼくは先に死ぬけど、天国で待っています」と言っていました。息を引き取る直前に奥さんに「シスターにお礼をしっかりとしてくれ!頼むから」と言い、安らかに神様のもとに帰りました。

このように私たちの召命、宣教の証は、どこにあっても果てしなく続いています。種を蒔く人と実を収穫する人、またそれは天国においても続けられています。神様からの宝物を受けとり、一人一人との出会いを大切にしていきたいと思います。Yさんが出会いを感謝しながら生きることを教えてくれました。

(Sr. C)