マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

FMM日本管区の歩み-45

FMM「社団法人マリア奉仕会」の設立

1929年 (昭和4年)、管区の歴史に新しいペ-ジが開かれました。それは、2年前に申請していた 熊本と人吉の事業を包括した「社団法人マリア奉仕会」の設立が内務大臣の認可を得ました。そして、熊本に法人事務所を設置し現在の 「社会福祉法人聖母会」 の道が開かれていきました。長い迫害の歴史を歩んできたカトリック教会にとって、ここに至るまでの道のりは非常に長い困難なものでした。

キノルド司教の報告によると、日本のカトリック教会が初めて政府から「団体」として不動産の所有権を認められるようになったのは1923年(大正12年)になってからのことでした。それまで信徒数の不足から法律上神道や仏教のように「宗教団体」として認められず、教会の財産が没収される危険さえあったということです。例えば、第一次世界大戦後に教会の財産が没収されそうになった時、教皇ベネディクト15世が日本政府に「教会の財産は宣教師のものでもなく、国のある団体のものでもなく、全教会の財産であってその最高管理者は教皇である」という電文を打ったおかげで没収されずにすんだという例もあります。しかし、教会が所有する不動産は必ず日本人の個人名で登録しなければならず、そのために日本人の司祭や修道者が一人もいなければ、伝道士か最も信用できる信者の個人名で登録せざるを得ませんでした。したがって、その人が法律上の所有者ということになります。ところが「法律上の所有者」が死亡すると「相続人」や相続税法など面倒な問題が起りました。最悪の場合、登録した名前の人や相続人が教会の土地を売ってしまうこともあったと伝えられています。帰化する外国人宣教師が大勢出たのは このような事情によるものでした。

本会の場合、熊本と人吉の修道院と事業の土地・建物は1910年 (明治43年) 10月25日付のコ-ル師の寄付行為によって本会に遺産として譲渡され、日本人アグレジェの名前で登録されています。札幌と東京の修道院については、当時日本人会員が一人もなく、またニッポンの言葉も文化も不慣れな外国人のシスターたちに代わって、教会が 一時的に「日本天主公教会宣教師団」の法人に登録していました。それが戦争への機運が高まるにつれ、教会の財産が国に没収される危険性が出てきたので、札幌のキノルド司教も東京のシャンボン大司教も、本会の財産を教会から切り離してFMMの「社団法人マリア奉仕会」の事業に統括しようと考えていました。