昨今、自分がすべきこととしてまず頭に浮かぶのは、①マスクをしないで人と話さない、話はできるだけ簡潔に、そして②狭い場所で人に近寄らない、長く一緒にいない、である。
(在宅はできない)病院に出勤しているが、それ以外は一人でいる時間が増えたので、本棚にあった「キリスト教放送局FEBC」の放送をまとめたMP3を順々に聞いている。
「キリスト教放送局FEBC」はONLINEなら無料で放送を聞くことができるし、一講師の放送をまとめたMP3を購入して聞くこともできる。
英隆一郎(はなふさりゅういちろう)師(カトリック麹町 聖イグナチオ教会の主任司祭)は「神との親しみを深めるために」と題されたお話の中で、「『ありがとうノート』をつけてみたらどうでしょう」と話されていた。
嫌なこと、苦しい、悲しいことが記憶に残りやすく、寝るころにはどっぷりと暗く重い気持ちになってしまう日でも、ありがたかった、楽しかったことはある、と言う。
「そうかしら?」と、首を半分かしげつつ、寝る前、片手大の無地ノートとシャープペンシルを持ち、ベッドに座った。しばらく、何も浮かばなかった。
待っていると、今朝、庭のツツジが紅色に輝くようだったのが目の前にふと浮かんだ。心が華やいだ、とノートに書き留めていると、夕方、電話で母の元気な声を聞けてよかったな、と思い出し、『父も元気で熱もない』と聞けたのに二重に感謝した。それからは雪だるま式に次々と思い出された。
Yさんが豚肉を早めに冷凍庫から出してくれたので、夕食の支度にかかるころには解凍できていて助かったとか、昼食の時の納豆のタレはおいしかった。数年前に買ったままだった医療ケアの本、300ページのうち今日は269ページまで到達できた。午前中の救急当番をM先生が代わってくれて助かったな、とか昨日のコロナ新感染者は50人以下でよかったなとか。
なんだかたくさん書ける。小さなことのようだけど、ひとつとて当然ではない。
書くほどに「ありがとう」と思えることが増えてくる。
家のカギと眼鏡の置き場と決めている寝室の棚の上に、ノートを開いて置くことにした。
(Sr. M.O)