マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

大雪の日の奇跡 ー チュニジア

2017年1月14日(土曜日)、チュニジアでは「ジャスミン革命」6周年をお祝いしていましたが、突然の大雪になってしまいました。突然の大雪に多くの人々は、立ち往生し、泊まる場所を探し求めました。その時の様子を、Sr.Brunaが分かち合って下さいました。

 

その時、家にはバーバラと私(ブルーナ)の二人しか残っていませんでした。アレヤンマとベルナデッタはチュニスに帰っていたからです。その日は月の静修の日にあたっていたので、門をしめ、静かな時を過ごしていました。午後には、司教様とドミニコ神父様が、ここに来て、ミサを捧げてくださることになっていました。クリスマス以来のミサで、私たちは本当に楽しみにしていました。

しかしお昼前に、司教様が来られないという電話を受け取りました。雪が降りそうなので、出かけるのは危険だということでした。ミサがなくなってしまいましたが、仕方ありません。

午後、もう一本の電話がありました。アレヤンマからで、「ライオンズ・クラブ」の人々が、日曜日の朝10時ころに、色々な寄附の物品を持って来てくださるということです。困っている人々にお分けすることができます。何とすばらしいこと!

夕方、ベルナデッタから電話がありました。日曜日に、ジェンドーバで、サハラ以南の学生のために、ジャン・ミッシェル神父様が、ミサをなさるという「良い知らせ」です。しかし、日曜日の朝には、雪が降りそうです。出かけるのは、やめた方がよさそうです。また、仕方がありません。

10時に着くはずのグループから、交通渋滞がひどくて動けないので、遅くなるという電話がありました。

彼らは1時ころにようやく辿りつきました。色々なものをいただき、それらの使い道を話したりして、とても楽しい出会いの一時でした。午後2時ころ、帰って行かれましたが、その時、窓から見ると雪が降り始めていました。

 

聖体礼拝の間に、また電話が鳴りました。ある家族からで、雪のために車が動かず、チュニスに帰れないので、一晩泊めてもらえないかという電話です。ホテルには、もう場所がないとのことです。ちょっと考えて、私たちは「いいですよ」と答えました。どうにかなるでしょう。その時、窓の外を見て、事の重大さがわかりました。すべてが止まってしまっているのです。何も動いていません。車は数珠つなぎに止まっています。

 

私たちのお客さんたちは午後6時ころやってきました。お父さん、お母さんそして男の子と女の子の4人家族です。チュニスのラ・マルサ教会の信徒で、話していると共通の知り合いもいることがわかりました。彼らは、私たちが受け入れたことを本当に感謝していました。2階の部屋に泊まってもらうことにして、2部屋を暖めました。

それからバーバラが見回りに出かけました。とても寒くて、助けを必要とする人がもっといるかもしれません。彼女が帰ってきて「人が多すぎて、私たちにできることはないと思う」と心配そうに言っていました。皆が何とか解決策を見つけるように祈りましょう!

夕食を準備して、テーブルに着くと、また電話がかかってきました。泊まっているカップルの友人で、私たちも知っている人でした。60人乗りのバスが立ち往生して、一夜を明かすところがないというのです。私たちに何かできることはあるのでしょうか。

私たちはしばらく考えました。「60人を迎える?どこに?どのようにして?結局、幼稚園のお部屋を暖めることにしました。最近幼稚園のために頂いた新しい絨毯も敷いてあるので、少しは寒さも防げるだろうし、いくらかのマットレスもあるし、毛布も少しはあるし・・・何もないよりましでしょう。」

 

「いいです。どうぞ来てください。」と私たちは答えました。でも、彼らは遠くにいるので、ここに本当に来られるかどうかわかりません。何しろ、雪の中を歩いて来るのですから・・・とにかく、私たちは準備に取りかかり、私たちの最初のお客さんがよく手伝ってくださいました。

 

準備をしましたが、もし彼らが来なかったら、無駄になるのでしょうか。外を歩き回って、必要な人を探したほうがよいのでしょうか。家の前の喫茶店には、子どもを抱いた女性が座っています。きっとそこで夜を過ごそうとしているのでしょう。・・・もしバスの人たちが来なかったら、周りにいる人々を家に呼ぼうと考えていました。

しかし、途中で電話をしてきた人々は、午後10時過ぎに、疲れ切って、やって来ました。雪の中を、夜、子どもを抱いたり、おぶったりして、歩いて来たのです。女性たち、子どもたち・・・台所も食堂も暖めて、コーヒーを準備し、テーブルにもベンチにもマットレスを置いて、あるだけの毛布を出しました。

次のグループが着きました。何人いるのでしょうか。女性や子どもたちに交じって男性もいました。彼らは女性や子どもを家に入れると、自分たちは喫茶店に出ていきました。実際、そのグループは、電話をして来た人たちのグループではなく、車を乗り捨てて歩いて来る間に、偶然、バスのグループと一緒になった人たちでした。それで、女性や子どもを暖かい所に入れると自分たちは、外に出ていったのでした。

真夜中、一日の騒ぎが終わり、静けさが戻りました。月曜日の朝、新たな一日が始まり、また色々と準備しなければなりません。男性たちがコーヒーを作り、私たちはミルクを温めました。そうしていると、雪の中を、近所の友人たちが次々に手伝いに来てくれました。それで、皆がそれぞれ責任をもって、泊まった人々のお世話をしたり、質問に答えたりしてくれました。ついに、お客さんたちは、どうにか食べ物にありつくことができました。1階の人々は、お店の前のレストランに出かけ、2階の人々は、ガスと大きな鍋を借りて、自分たちで料理をしました。

9時ころ、ドアをノックする人がいました。「まだ場所がありますか。」と車の中で夜を明かした4人が、寒さで死にそうな様子でやってきました。「はい、どうぞ。」1階に小さな部屋があるので、4人をそこに通しました。

しばらくすると、皆が動き始めました。買い物に行ったり、長靴を買ったり、暖かい衣類を探しに行ったり・・・子どもたちは雪の中でうれしそうです。通りに出て行って、情報を集めて来る人もいました。道はいつ通れるようになるでしょうか。今日?明日?色々な情報が入り乱れて、何が本当なのかわかりませんでした。

午後2時ころ、最初のお客さんが出発しました。彼らの車は道の右側にあったので、動き始めたのです。反対側の車は夜まで待たなければなりませんでした。最後の人が出発したのは、夜6時のことでした。

アイン・ドラハムで、このような危機的な状況を体験したことは今までありませんでした。また同時にこのような連帯の鎖を体験したのも初めてのことでした。病院、スポーツセンター、若者の家、体育館、そして多く人々が自分の家に本当に多くの人々を招き入れたのでした。近所のヤシンは、赤ちゃんを連れたお母さんを泊めるために、自分は喫茶店で夜を明かしました。そのような例が本当にたくさんありました。

このような体験をさせてくださった神様に感謝しています。パンの奇跡ならぬ泊まる所の奇跡でした。

 

Sr.Bruna,fmm