私たちが、ノビスの頃、シスター泊は、小さな体で、毎日、キウイ畑のお世話をしていらっしゃいました。私たちが畑のお手伝いに行くと、「私は、目も薄く耳も遠くなって、何もわからん」と言いながらも、祈りの必要な出来事を敏感にキャッチし、それをロザリオの意向として、作業の間中、ロザリオを祈っておられました。確かに、耳が遠くなられていて、ロザリオがいつまでたっても「めでたし・・・」で「願わくは・・・」にならないようなとき、私たちはシスターの近くに行って、「願わくは・・・」と大声で叫んだりしたものでした。
初誓願が近づいたある日、シスター泊の働く「ジェンマ小屋」に、あいさつに行きました。今までお世話になった事の感謝と、これからのお祈りをお願いに行ったのです。すると、シスターは、古びた茶箱から、何枚かの古びたマリア様のカードと、またまた古びたノートを取り出して来られ、「シスターSは、幼稚園の先生だから、子どもたちに『御絵(ごえ)』が役に立つじゃろ、シスターHは、学校の先生だから『帳面』がいるかもしれん。」と言って、私たちにそれぞれカードとノートを下さったのです。いつか私たちが入会前のことを話したのかもしれませんが、ちょっと手伝いに来る私たちの一人一人の必要を気にかけてくださっていたのです。シスターの細やかな思いやりに心から感謝し、その古びたカードとノートは私たちの宝物となりました。
そして、シスターは「いつか二人も聖地巡礼に行かせてもらえるときがあるじゃろうから、そのときのために言っておくから」と言って、聖地に行くときには「長靴」と「醤油」を持っていくようにとおっしゃいました。「なぜ」と聞くと、シスター泊が聖地巡礼に行く前に、院長さまが「革の短靴」を買ってくださって、喜んで履いて行きましたが、いつも畑で長靴を履きなれているシスターは足が痛くて「往生」したのだそうです。「『みあるじ』が歩いた土地をこの足で歩けた喜びにくらべれば何でもなかったばってん、長靴をもっていくとよか。」ということでした。また醤油は、「『ふとか魚』がガリラヤ湖畔の『食堂』で出て、味が無くて残念だったから、醤油を持っていくとよか。」ということでした。私たちはシスターの深い信仰と単純さに感動したことを覚えています。
また、遠くを見るような澄んだ目で、「私は毎日、聖地巡礼を続けている」とおっしゃいました。「みあるじ」の歩いた土地を歩いた体験を1回限りにするのはもったいないので、毎日、寝る前に聖地に戻って、「イエズス様の歩まれた道をもう一度しっかり歩く」そうなのです。「寝る前のお祈りの中で、聖地に戻り、イエズス様と話しをしながら、巡礼で行った土地を歩き、毎日違う所で留まって、賛美歌集Ⅱの1番『心を高く上げよう』を踊りながら歌って、休む」ということでした。「あんたたちもいつか聖地に行かせてもらえるから、それまで気張って働かんといかんよ。」と言葉を結ばれました。
あれから25年もたちましたが、その情景が昨日のように思い出されます。きっとシスター泊は、今ごろ、天国で、「みあるじ」と顔と顔を合わせて、私たち一人ひとりのために取り成して下さっていることでしょう。