先日お会いした あるビジネスマンが、「最近はチームのリーダーには仕事のできる人を置かないんですよ」と一言。「そういうリーダーは、できない人に対して仕事のできる自分を基準につい『ダメ出し』をしてしまう。むしろ仕事の実績よりも、一人ひとりの特徴をつかんで仕事を任せたり、ペアを組ませたりできる調整型のリーダーの方がうまくいくようです」と。
パウロはコリントの教会への手紙(12;12-28)の中で
次のように書いています。
「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。・・・もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。
もし全体が耳だったらどこでにおいをかぎますか。そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。すべてが、一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって
「 お前は要らない 」 と は言えず、また頭が足に向かって 「 お前は要らない 」 とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分がかえって必要なのです。・・あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。 神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。」と。
いわゆる「仕事のできる人・できない人」という分類は主観的なものに過ぎない面がありますし、見る人が変われば見方も変わります。神さまだけが完全な方ですから、完璧な「人」は存在しません。調整型リーダーがそれぞれの良い面を引き出しながらチームを作っていく職場では、そこにもう神の国が始まっているのではないでしょうか。(Sr. H )