マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

Sr.セシリア 入江 純子 の巻

Sr.Irie

Sr.セシリア 入江 純子

Q.受洗はいつ頃できっかけは何でしたか?
私は福井県若狭の熊川宿という、山間の古い宿場町に5人兄弟の長女として生まれましたから、近くに教会などもなく、まったくキリスト教と出会う機会はありませんでした。最初のきっかけは、京都の教育大学に入学してから、そこに学生として通学していた1人のシスターとの出逢いでした。彼女に誘われて大学のカトリック研究会に入り、4年間要理の勉強や、ボランティア活動などを体験した後、卒業と同時に伏見教会で洗礼を受けました。

Q.FMMとはどのように出会いましたか?
卒業時にはすでに公立学校への就職が決まっていたのですが、洗礼を受けたばかりでもあったので、やはり信仰者として働ける場がないかと思うようになり、神父様に相談しながら、自分でもカトリック学校を探してみたところ、神戸の海星女子学院を見つけました。
自然に囲まれて育ちましたので、山や海があるところがいいなぁと思い、ここで働きたいと神父さまに伝えたところ、最初は「ちょっとあなたにはどうかなぁ…」という反応でしたが、「まぁ行ってみなさい。」ということで、推薦状も手配してくださいました。それで、すぐに面接に行ったところが、FMMの学校だったというわけです。
もう2月になっていたので、すでに新年度の採用は決定して無理かもしれないと思っていましたが、ちょうど小学校の教師に欠員があり探していたところだったので、思いがけず即日採用が決まり、結局それから7年間勤めることになりました。

Q.修道生活を志すようになったのは?
まだ何も知らない子どもの時の記憶ですが、歌が好きで当時流行っていた「ここに幸あり」という歌を大きな声で「君を頼りに私は生きる〜ここに幸あ〜り青い〜空〜」と歌っていたら、父から「誰かを頼りにした生き方に幸はないよ」と言われて、その頃からぼんやりと「幸い」って何だろうっていうことを考えていたような気がします。
成人洗礼を受け、キリスト者として生活していく中で、「ほんとうに創り主がいてくださり、自分が創られた存在であるなら、私を創ってくださった方の意思に沿って生きることが、いちばん自分らしく生きられることなんじゃないか」と考えるようになりました。
もちろんそれが、結婚という選択でもあり得たと思いますが、一緒に働いていたシスター達の生活は、神様に従うという生き方をはっきりした形で見せてくれていましたし、ここに導いてくださった招きというようなものを感じていたので、7年後29歳で決心し、志願者となりました。

Q.いま振り返って思うことは?

Sr.セシリア 入江 純子

Sr.セシリア 入江 純子

続けてきたこと、年を積み重ねてきたことでわかってきたことが沢山あるなぁと思います。 若い時は自分で生きてた気がしたけど、ほんとうに生かされてきた自分の姿というものに気づくことができることは幸せですね。2年前に94歳で帰天した父が臨終の時に洗礼を授けようとしたのですが、初めは断られてしまい、困ったなぁと思って「お父さん、私が一生かけて信じてきた神様なんだけど…」と、もう一度話してみたら、「わかった」と受け入れてくれました。私が歩んできた道をずっと見ていてくれた父だからこそ、そこに迷いや後悔がないということをわかってくれたんだと思います。

Q.将来の道を探している若い人たちに一言
どんな道を行くにしても、自分の立ち位置、神様が触れてくださった自分をしっかりと持ち続けることが大切だと思います。仕事や友人との関わりの中で、家族の中で、他人との比較や誰かからの評価によって上がったり下がったり、左右されるはずのない自分自身の姿をそのままにしっかりと生きられたらいいですね!