マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

FMM日本管区の歩み-83

1938年の総評議会

1938年 (昭和13年) 6月11日、管区長のM.ピエ-ルは10月に行われる総評議会に出席するため、ロ-マへ派遣される有期誓願者のM.ネリア(村田敏子)と一緒に横浜港を出航しフィリピン経由でロ-マへ向かいました。既に参戦準備に入っていた日本の軍艦を横目に、船は寄港先で総評議会に出席する会員を乗せながら進んでいきました。しかし中国で乗船するはずのノ-トル・ダム・ド・ガルド管区の管区長M.クリゾストムと副管区長M.クリザントの姿はありませんでした。欧州では政情不安定のためにポ-ランドの管区長が参加を見合わせました。

結局、中国とポ-ランドから参加者のないまま総評議会は10月4日に開かれ、本部評議員全員の留任と1932年総会で強調された「会員の養成」の方向づけが決定されました。医療や教育などの事業に従事する会員に宣教者としての使命を意識させるため、1935年 (昭和10年) に作成された「事業のクチュミエ」が承認され、会員の霊的生活と職業生活の両面を更に掘り下げ、徹底させることになりました。総会は22日の教皇ピオ11世の謁見をもって幕を閉じ、出席者は教皇の祝福と激励を携えて、いち早くそれぞれの管区へ散っていきました。それほど世界情勢は緊迫していたのですが、この謁見が教皇ピオ11世との最後の別れになるとは誰が想像したでしょうか。

その年も明けて1939年 (昭和14年) 2月10日、教皇ピオ11世が天に召されました。5年前の謁見で会長に言われた「救世のみ業を世に知らせることは何と美しい業でしょう。これこそ私たちの事業であり、宣教修道会であるあなた方の事業でもあります。それ以上美しい事業をもつことが出来るでしょうか」という教皇の好意に満ちた言葉に、本会は勇気と力を得てきたのです。そして3月2日、これまでも本会と親交厚く偉大な保護者であった教皇ピオ12世が、その後継者に選出されました。歴代の会長と教皇との親密なかかわりは本会全体にとって神の特別な恵みでした。

5月には創立者生誕100年記念日を迎え、会長は創立者を知っている会員たちを集めて「娘大会」を開きました。創立者の思い出を後代の会員に伝えるためでした。幸せな日々も9月1日の第二次世界大戦勃発で中断されますが、この総評議会で示された一致は、世界宣教の使命を持つ本会が世界大戦の大試練を乗り越える力になっていったのでした。