マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

シンガポールセクターの志願者より

「フィリピンのクバオを一言で表すとしたら?」と誰かに尋ねられたら、私は「ジプニー!」と答えるでしょう。クバオはマニラ首都圏ケソン市の商業の中心地であり、交通の要所でもあります。そこでは、ジプニーが主な公共交通機関として利用されており、独特なキッチュ・アートの文化的な象徴でもあります。そのエンジン音はをつんざくように体に響きわたり、私が初めてこの地に来たときにはその轟音に慣れるのに二晩かかり、ようやく安眠できるようになりました。そんな喧騒の中でクバオは、私がプレノビスとしての養成を始める場所となりました。2024 年 3 月 21 日、シンガポールでの入会式のわずか二日後にここに到着し、これからの 1 年間をこのプレノビアで過ごすことになったのです。

馴染みのあるものと初めてのものの中での適応

プレノビシアは、フィリピンの受け入れの家である「聖ピオ10世共同体」に属しており、同じ敷地内にありながら住居は別々になっています。プレノビシアのメンバーは 4 人です。フィリピン人のプレノビスと養成担当者、ベトナム人のプロフェス(終生誓願者)、そして、シンガポール人の私です。小さな共同体ですが文化や背景の多様性に富んでいます。プレノビスの段階ですでにFMM の国際性を体験できることは、私にとって本当に大きな祝福です。

シンガポールで育った私にとって、言語や気候、食べ物は特に目新しいものではありませんでした。英語は共通語であり、気候も蒸し暑く、シンガポールは多文化・多民族国家として様々な料理を楽しめる国です。しかし、最先端の技術に囲まれた先進国から来た私にとっては生活スタイルに大きな違いがあり、適応が必要でした。初日の夜、シャワーを浴びようとした時のことを覚えています。一緒に住む仲間に「お湯はどうやって出すの?」と尋ねると、彼女は「ドアの後ろにあるよ」と答えました。でも、私はその「スイッチ」を探してしまい、なかなか見つかりませんでした。シンガポールでは壁のスイッチを入れればすぐにお湯が出るので、その感覚で探していたのです。結局、お湯は諦めて冷たいシャワーを浴びることにしました。冷水は体にも心にも耐えなくてはならない一種の試練のように感じました。他にも慣れなければならないことがありました。たとえば洗濯機ではなく手で洗濯すること、シャワーヘッドではなくバケツとひしゃくを使って水浴びをすることなどです。後になってお湯を沸かす「ヒーター」とはバケツの水に浸すタイプの電気加熱器だと知りました。でも、実は今までそれを一度も使ったことはなく、今ではむしろ冷たい水でのシャワーを楽しんでいます。

それは、単に慣れ親しんだものを当たり前と思っていた自分への気づきに留まりませんでした。洗濯機があることの快適さや便利さに気づき、それに感謝するだけでは十分ではなかったのです。実際にそのような状況で生活する者となることで、私は教えられ、謙虚にされ、そして同じような生活環境にある現地の人々や仲間たちとの一体感を感じることができました。この体験を通して、キリストの受肉の神秘、神のご計画がなぜ私たちの仲間になることだったのかをほんの少し垣間見ることができました。私たちの質素な暮らしの中には足りないものがあるかもしれませんが、私は一度たりとも困窮していると感じたことはありませんでした。

変化に次ぐ変化…そしてさらなる変化

思っていたよりも適応するのは意外と簡単かもしれないと感じ始めた矢先、プレノビシアでは次から次へと変化が押し寄せてきました。入会してから半年も経たないうちに、健康上の理由からプレノビシアの養成担当者がその任を退かなくてはならないという突然の知らせがありました。その少し後には、たった一人のプレノビスの仲間が識別の末、養成を離れる決断をしました。プレノビシアには私ともう一人のプロフェスだけが残り、そのシスターが私の養成の同伴をしてくださることになりました。これは私たち双方にとって新しく、挑戦に満ちた状況であり、一から信頼関係を築きながらお互いに適応していく日々となりました。この期間、私は感情の嵐の中にいました。高揚と落ち込み、幸福感と孤独感、穏やかさとイライラ、興奮と疲労感、希望と挫折感、まさに山あり谷ありでした。プレノビスになったその日から、毎朝目が覚めるとベッドに横たわりながら「イエス様、あなたは私を愛しておられます。イエス様、私はあなたを信頼しています」と祈りました。この大きな困難に直面した時ほど、この祈りが私にとって言葉れほど確信に満ちたものになったことはありません。イエス様は私と共にいてくださり、主は、私にただ、主に信頼と希望を置き続けることだけを求めておられるのです。イエス様は私にご自身の慈しみを顕わしてくださるでしょう。そうです。実際にそうしてくださいました。

3 か月後、新しい霊的同伴者との関係がようやく落ち着き始めた頃、今度はもう一人のベトナム人のシスターが一時的な養成担当者としてプレノビシアに任命されました。心配が膨らんで不安になる前に、これまで私と共に歩んでくれたシスターがそのまま引き続き私を同伴して下さるという最後の最後で下された決断に、私は感謝と安堵の気持ちでいっぱいになりました。

しかし、それから 1 か月も経たないうちに、今度はプレノビシアをクバオから車で2時間ほどのタガイタイへ移転するという突然の決定がなされました。ほんの 1 年ほど前に何もないところから整え始めたプレノビシアを、引っ越しのためにほとんど空っぽになるまで再び荷造りしなければなりませんでした。私はミッション体験のために別の地方へ派遣されることになっていたため、もう少しクバオに残ることになりました。

こうした変化のすべてにおいて、神は私に、神ご自身とその計画を信頼し続けるよう求めておられます。分析的な思考に陥りがちな私ですが、必ずしも解決策を考え出したり、完全に理解したりする必要がないことに気づかされました。起こるあらゆる変化の中で、私は徐々に神の計画が展開していく美しさを目の当たりにし、経験してきました。あらゆる変化は、私を少しずつ成長させ、人として成長し、神に近づく助けとなりました。私は感謝し、変化を笑顔で受け入れることを学んでいます。

競争ではなく旅路

養成の初めの数か月、私はとても焦っていました。

「私は仕事も、快適な生活も、家族も手放した。 FMM のシスターになる決心をして、これが自分の召命だと識別した。私はもう成熟していて、32 歳という年齢までに 20 代の間に自己発見や個人の成長のプロセスも通ってきたのに…どうしてまだノビスになって先に進めないの?」そんな思いが頭から離れませんでした。自分では養成に心を開いているつもりでしたが、実際には心は閉ざされ、プライドでいいっぱいになってしまっていたのです。

2024 年の終わりに修道召命の動機と超越に関する短いセミナーにあずかって、まるでお腹にパンチを食らったような衝撃を受けました。講師は、価値観とニーズ、現実の自己と理想の自己について語りました。それは決して初めて聞く新しい内容ではありませんでしたが、自分にとっては目覚めともいえる気づきでした。私は、自分がなりたいと願う理想や価値観ばかりに囚われ、現実の自分自身の姿やニーズに目を向けることを怠っていたのです。その後しばらくの間、私は動揺し、意気消沈しました。現実に引き戻され、自分のプライドが揺り落とされるような感覚でした。「神よ、あなたはどなたですか?そして私は誰なのですか?」これが私の闘いの叫びとなりました。それは必要な低迷と暗闇の時期でした。聖パウロが書いたように「罪が増すところには、恵みはなおいっそう満ちあふれる」のです。自分の壊れた部分や弱さを抱え、心の傷の中に神が入ってくださるよう泣きながら叫んだとき、神の恵みと憐れみはこれまでにないほど深く私の内に注がれ、より大きな希望と新たな力を与えてくれました。

私は今も、終わりなき発見の旅路を歩んでいます。それは決して早く終わらせるべき競争でも、目指すべきゴールでも、達成すべき課題でも、通過点でもありません。神を知り、神を愛し、神に仕えるための旅なのです。

Vanessa Lee(プレノビス/シンガポールセクター)