マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

ハッピー・イースター!

主のご復活おめでとうございます。聖書によれば、イエスは金曜日に十字架につけられ、殺され、墓に納められました。土曜日は安息日なので、その後の日曜日の朝早くに婦人の弟子たちが墓に行ってみると、イエスは復活し、遺体はもうそこになかったので、彼女たちは震え上がったそうです。「遺体」「あるべきもの」が「ない」ことが、何故彼女たちをそれほど怖がらせたのでしょうか。
イエスは十字架にかけられる前の晩に、弟子たちと一緒に「最後の晩餐」をしています。自分が間もなく両手両足にくぎを打って十字架上に身体を固定され、殺されることを予感しておられる中での食事です。その情景を思い浮かべるだけで、どれほど恐ろしく、食べる物が喉を通らない、人と会って一緒に食事をしたいとも思えない状況だったことでしょうか。それでも食事を共にして、自分が永遠に弟子たちと共にいることを教えようとされました。イエスのその思いは今も「ミサ」「聖体(キリストのからだ)」として、カトリック教会で受け継がれています。辛い死の恐怖にもひるまず愛を示されるイエスと、怖がって逃げる弟子たちとは対照的です。
弟子たち(婦人たちを含めて)が「あるべきものがない・恐怖」から、「ある・歓喜」へと変えられたのは、「主は復活された」「存在しておられる」「生きておられる」と気付いた時です。私も弟子たちの歓喜に加わることができるためには、先ず、お墓に遺体を訪ねに行く愛と勇気をもたなければならないし、それにはイエスが最後の晩餐や十字架上で示された私たちに対する愛と、死を恐れない勇気をしっかりと味わう必要があると思います。